からだを動かす/ダンス 2018.6.19

【夢のつかみ方】タップダンサー・HIDEBOHさん(後編)~ニューヨークで学んだ「自分アピール」の重要性~

【夢のつかみ方】タップダンサー・HIDEBOHさん(後編)~ニューヨークで学んだ「自分アピール」の重要性~

2003年の北野武監督作品『座頭市』、2017年の水谷豊監督作品『TAP- THE LAST SHOW』タップダンスシーンの振付・指導を担当し、自らもタップダンサーとして出演したHIDEBOHさん。「プロ」という明確な道標のないタップダンサーとしての道のりは決して平たんではなかったと言います。若かりし日のHIDEBOHさんは、タップの本場アメリカ・ニューヨークへと行き、自分の夢を追い続けました。そんなHIDEBOHさんご自身の経験から、夢をつかむために必要なことについてアドバイスをもらいました

構成/岩川悟 取材・文/洗川俊一 写真/玉井美世子

ちょっとした勇気が人生を変える

――HIEDEBOHさんは、本格的にタップを学ぶためにニューヨークへ行かれたそうですが、そのきっかけを教えてください。

HIDEBOHさん:
「どうしたらプロのタップダンサーとしてのスタートラインに立てるのだろう」と葛藤していた時期に、グレゴリー・ハインズの来日公演が渋谷の『パルコ劇場』であったんです。ファンの人たちがタップシューズにサインしてもらう時間があって、僕もその列に並びました。そして、僕は順番を待っているときに、「ここでシューズを履いて、急にタップを踏みだしたら人生が変わるかもしれない」と思い立ち、「恥をかいてもいいや!」と、当時グレゴリーが出演していた『宝焼酎レジェンド』のCMのステップを踏みはじめたんですよ。この行動は、僕の人生のなかで最初の「勇気」だったかもしれません。

――その光景を見て、グレゴリー・ハインズはどんな反応を?

HIDEBOHさん:
サインをしていた手を止めて僕のほうを見て、「少し待っていろ」と。そして、順番が来てサインをもらった後、ステージに残された僕は、グレゴリーと一緒に踊りました。話はこれで終わりではありません。コンサート終了後に楽屋に呼んでもらって、グレゴリーは「応援しているからな。グッドラック!」という言葉をかけてくれました。そこで僕は、通訳を通して、グレゴリーの師匠でブロードウェイの振付師であるヘンリー・ルタンのところへ行きたい旨を伝えたところ、「じゃあ、ヘンリーに言っておくよ。日本人が来るって」と言ってくれたんです。僕にとっては夢のような出来事だった。ちょっとした勇気が人生を変えることがあるんですよ。

――グレゴリー・ハインズの紹介でニューヨークに行かれたということですね。

HIDEBOHさん:
タップの本場であるニューヨークに行かないと、タップダンサーとしてのスタートラインに立てないと思いはじめていた僕の背中を押してくれることになりましたね。早速、親にお金を借りて、ニューヨークへと旅立ちました。ただ、ヘンリー・ルタンを訪ねたときにグレゴリーとの話をしましたが、あやふやな返答だった。ですから、グレゴリーが伝えていたかどうかは、いまとなってはわかりません(笑)。

――どれくらいの期間ニューヨークに?

HIDEBOHさん:
はじめてのときは1週間滞在しました。その旅行中にヘンリーを訪ね、100ドルくらい払ってプライベートレッスンを1時間受けたのかな。そのときヘンリーに言われたのは、「日本ではそれなりにうまいのだろうけど、こっちに来たら次元がちがうよ」ということ。「ニューヨークにはまた絶対に来る」と心に固く誓って日本へ帰ったことを覚えています。再びニューヨークを訪れるのは、それから3年後の22歳のときでした。それから2年弱、ニューヨークと日本を行ったり来たりしながら、タップを学んでいくことになります。

タップダンサー・HIDEBOHさんの夢のつかみ方後編2

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「I」で会話がはじまる国では、自己アピールが不可欠

――ニューヨークで最初に目標として定めたことはどんなことだったのでしょう。

HIDEBOHさん:
ヘンリーに、タップマスターたちが毎週火曜日に集まるというバーを紹介してもらいました。そこは、タップシューズさえ持っていけば、誰でもピアニストに曲とリズムをリクエストして踊れる場所。僕は火曜日になるとそこへ行き、「俺もタップシューズを持っている!」と手を上げ、恥をかきながらも踊っていましたね。僕のニューヨークでの最初の目標は、そこに集まるタップマスターたちに仲間として認められることでした。

――ちなみに、英語での会話は大丈夫だったのですか?

HIDEBOHさん:
ヘンリーに師事する人たちはアメリカ人だけではありません。フランス人、インド人、イタリア人など、いろいろな国の人たちがいます。みんな英語がうまいわけではなかったので、僕としては気が楽でしたね。身振り手振りでなんとかなるものですよ(笑)。

――ヘンリーから言われたように、ニューヨークは次元がちがいましたか?

HIDEBOHさん:
脚力、持続力、筋力、それに、スピードにも圧倒されました。日本ではそれなりに速いと言われていた僕のステップがまったく通用しないんです。そもそもレッスンに来ている人ならともかく、地下鉄のコンコースなどで踊っている普通の人たちがめちゃくちゃうまい(苦笑)。そういったものを毎日のように目にして、「ただタップがうまくなるだけでは勝てないな」と感じましたね。

――次元のちがう人たちと勝負するために、HIDEBOHさんはそこでなにを考え実行に移したのでしょう。

HIDEBOHさん:
「日本人として彼らに勝つならなにかな?」と考えてはじめたのが、灯油を入れるポリタンクを叩いてステップを踏むパフォーマンスだった。タンクを叩く音が和太鼓に似ていたんですよね。圧倒的にちがいのある体力的なハンデをネガティブに考えていても仕方ないですから。結局、ヒントになったのは、歌舞伎、能、狂言といった日本の伝統芸能にある「間」だったんです。日本にいたら考えつくことはなかったかもしれませんね。それが最終的には、『座頭市』に結びついたと思っています。

――ほかにニューヨークで学んだことは?

HIDEBOHさん:
ふたりの黒人のタップダンサーには、ずいぶんとお世話になりました。そのひとり、タマンゴとはいまでも交流があって、3年前には日本のステージでも共演しました。彼らに言われ続けていたのは、「新しい人が来たら、必ずタップであいさつしなさい」ということ。「日本人は遠慮しがちだけど、ここは『I』で会話がはじまる国なんだから自分をアピールしないとダメ。できないなら日本に帰ったほうがいい」とまで言われましたね。周囲を見渡すと、どこの国の人も、とにかくあいさつ代わりにタップを踏んでいました。これは技術の問題ではなく、気迫の問題なのだと思いましたね。日本人からすると「厚かましい」ということになるのですが(苦笑)、ニューヨークで生きるというのは、そういうことなんです。

――HIDEBOHさんのニューヨークでの最初の目標は達成したのでしょうか?

HIDEBOHさん:
タップマスターたちの仲間として認められるまでには、しばらくかかりました。仲間入りの基準は、パフォーマンスに対して投げ込まれたチップの分け前をもらえるかどうか。つまり、それまでの僕は、ただ手を上げて踊っているバーに遊びに来たお客のひとりだったということです。それがある日、リーダー格の人から20ドルを渡されました。そのときニューヨークに来てはじめて、「タップダンサーとして通用すると認めてくれたのかな」と勝手に解釈しましたよね。いまでもその20ドルは大事に保管してあります。たった20ドルですけど、自分にとってはタップダンサーとして世界に認められたことを記念するすごい価値のある20ドルですから。

***
日本だけでなく、いまや世界からも認められるプロタップダンサーという夢をつかんだHIDEBOHさんからのアドバイスの数々はとても貴重なものでした。どこへ進むのかを自分で選ぶこと、そして、あきらめずにしつこく続けること。それから、勇気と自己アピールの重要性――。すべては、自分のなかにしっかりとした夢を持ち、そこに対して向かっていく強い心を養っていくことが重要なのですね。

タップダンサー・HIDEBOHさんの夢のつかみ方後編3
※バンド演奏に会わせてタップを踏むHIDEBOHさん。エンターテインメントとしてのタップダンスを追求しています。

※前編はこちら→

■ タップダンサー・HIDEBOHさん インタビュー一覧
第1回:【夢のつかみ方】(前編)~あきらめずにしつこくの精神~
第2回:【夢のつかみ方】(後編)~ニューヨークで学んだ「自分アピール」の重要性~
第3回:【父から教えてもらったこと】~客観的に子どもを見る視点を持つ~
第4回:【習い事としてのタップダンス】~リズム感、バランス感覚、器用な動作をつくる神経系を養う~

【プロフィール】
HIDEBOH(ひでぼう)
1967年10月7日生まれ、東京都出身。本名、火口秀幸。タップダンサーである父・火口親幸の元で6歳からタップダンスをはじめる。1984年からはタップの指導者としてインストラクターに。1987年からタップダンサーを目指して本格的な修行を開始し、ニューヨークと日本を行き来するようになる。ニューヨークでは、タップダンサーのスターであるグレゴリー・ハインズの師匠である、ブロードウェイの振付師ヘンリー・ルタンに師事。1998年には、オリジナルのタップパフォーマンス形態「Funk-a-Step」を提唱して「THE STRiPES」を結成。2003年、北野武監督の『座頭市』のタップダンスのシーンの振付・指導で一躍脚光を浴びる。2009年には「LiBLAZE」という新しいグループを結成。2015年、コレオグラファー(振付師)のダンスコンテスト『Legend Tokyo Chapter.5』にて、4部門において受賞。2017年には、タップダンスシーンの振付・指導、そして出演もした水谷豊監督作品『TAP THE LAST SHOW』が公開された。父がつくったダンススタジオを継承した、『Higuchi Dance Studio』では、子どもから大人までにタップを含めたダンス指導をしている。

【ライタープロフィール】
洗川俊一(あらいかわ・しゅんいち)
1963年生まれ。長崎県五島市出身。株式会社リクルート~株式会社パトス~株式会社ヴィスリー~有限会社ハグラー。2012年からフリーに。現在の仕事は、主に書籍の編集・ライティング。