現在C級1組に属し、コンピュータ将棋における卓越した知識を持つことでも知られるプロ棋士・西尾明六段。西尾さんが、プロ棋士の養成機関である「奨励会」に入会したのは、小学5年生のときで、将棋そのものに関しては3歳のころにはすでにルールを覚えていたと言います。将棋を子どもたちの習い事ととらえたときに、果たしてどれくらいのメリットがあるのでしょうか。西尾さん自身の経験から、将棋を学ぶことのメリットについて語ってもらいました。
取材・文/洗川俊一
将棋で身につくのは記憶力ではなく、効率よく記憶する方法
――西尾さんは、子どもの習い事としての「将棋」にはどんな良さがあるとお考えですか?
西尾さん:
将棋というゲームは、序盤、中盤、終盤という3つの局面に分かれます。そして、それぞれの局面で求められる能力も変わります。序盤は知識が大事で、どんなに強くても相手との戦い方に対する知識がないと対応できません。中盤になると展開が凄く複雑になって、プロでも次の手を簡単に判断できなくなります。そのなかをいかに粘り強く、10手先、20手先のビジョンを描いて、ひとつずつ評価を下していくか。終盤になると答えが見える段階になってくるので、決着をつけるためにどうすればいいのかという回答を出さないといけません。将棋を指すたびに3つの局面を繰り返すことで、序盤では知識を蓄えることの大切さ、中盤では粘り強く構想を練る考察力、終盤では限られた時間で答えを出す集中力といったことが自然と身についていったような気がします。
――プロの棋士の方はみなさん記憶力がいいというイメージがありますが、将棋を学ぶと記憶力もよくなるのでしょうか?
西尾さん:
そういうイメージがあるようですが、記憶力そのものがよくなるというより効率よく記憶する方法を身につけられるといったほうが正しいと思います。将棋盤の上には40枚の駒が並べられていますが、初心者は駒1枚1枚をそれぞれに次にどう動かすか考えます。しかし、将棋を覚えて少しずつ強くなってくると、3つくらいの駒を連動して考えられるようになる。つまり、複数の駒をひとつのかたまりとして考えられるようになるのです。これがパターン認識というもので、強くなればなるほどその連動の範囲は広くなります。プロ棋士なら盤面全体で考えられるようになります。
――それはプロならではですね。そのパターン認識を身につけるには、相当な時間がかかりそうですが。
西尾さん:
そこに到達するにはどうしても時間がかかりますし、時間をかけて何度も繰り返して身につけるしかありません。わたしが大学を中退したのは、三段リーグを突破するためには将棋を勉強する時間がどうしても足りなかったから。器用に両立できる人もいるかもしれませんが、自分の感覚だと「専念しないと無理だ」という判断でした。知識を蓄えるだけでなく、先を読む力や直感力も磨かなければなりませんからね。人生におけるどんなことであっても、すぐになにかできることなどなくて、なにか技術を習得するには繰り返しやっていかないといけないというのは将棋を通して身についたことですね。直感の重要性はよく話に出ますが、そもそも直感というのはそれまでの知識の蓄積から生み出されるもの。インプットすることが疎かになっていると、うまく直感は働きません。そのためには、やはり繰り返しが大事で、頭で考えなくてもアウトプットできるようになる必要があります。
しつこく考えるクセも自然に身につく
――将棋を学ぶと集中力も磨かれますか?
西尾さん:
集中力は磨かれましたね。将棋を学ぶことですごくプラスになったことのひとつと言っていいでしょう。答えを出さなければならない終盤になると、どうしても頭をフル回転させて考えなければならないですからね。強くなってくると、集中力にメリハリをつけられるようにもなります。普段はリラックスしていて、「大事だ」と思ったときはぐっと集中力を上げる。その習慣を身につけるとテストや発表会のときなどのパフォーマンスが大きく変わると思います。プロ棋士の場合は対局時間が長いですから、集中力をコントロールできないと勝てなくなります。勝負を左右する場面では、1手を考えるのに1時間、2時間かけることもありますからね。
――決断力に関してはどうでしょう。
西尾さん:
将棋を指していれば、どんなに初心者でも次の一手はいくつか頭に浮かんできます。プロのレベルでも次の一手として直感的に浮かぶ数は数手ほどですが、そこから樹形図のように変化を広げて読んでいきます。そして、手を絞り込んで、最終的に一手を選ぶ。決断の背景にあるのは、先を読む力です。将棋を学んで身につくとしたら、決断力いうよりも先を読む力でしょうね。プロ棋士の場合、「この手でいいや」というギャンブルのような指し方は絶対にしません。時間をかけて粘り強く考察して、次の一手を絞り込んでいくのです。将棋を指すようになって「強くなりたい」とか「勝ちたい」とかと思うようになってくると、しつこく考えるクセは勝手に身につくものかもしれません。
――将棋教室に通うと礼儀も身につきそうです。
西尾さん:
そこに関しては、「将棋だから」ということではないと思いますが、将棋教室で指すようになると自然に礼儀も身につきますし、実際に指導者や大人の方から教え込まれます。対局前には「よろしくお願いします」と言って一礼する、試合が終わったら負けたほうは「負けました」「ありません」などと負けを意思表示し、対局後はお互いに「ありがとうございました」と一礼する。対局マナーを守るだけでも、礼儀は身につくでしょうね。わたしも、将棋センターに通うことで基本的な礼儀を学ぶことができました。礼儀をわかっていなかった小学生のころはよく怒られましたからね(笑)。
■ プロ棋士・西尾明さん インタビュー一覧
第1回:【夢のつかみ方】(前編)~進路に迷ったら、自分はなにをしたいのかを優先する~
第2回:【夢のつかみ方】(後編)~大切なのは、自己分析と練習量~
第3回:将棋を学ぶことで得られるメリット(前編)~将棋で身につく、考える習慣と集中力~
第4回:将棋を学ぶことで得られるメリット(後編)~将棋は友だちを増やすコミュニケーションツール~
【プロフィール】
西尾明(にしお・あきら)
1979年9月30日、神奈川県出身。1990年9月に6級で奨励会に入会、2003年4月に四段となりプロ棋士に。2011年4月に六段に昇段。横歩取り戦法や角換わり戦法など激しい戦いを好む居飛車党。日本将棋連盟の子供スクールにて講師の経験も持つ。おもな著書に、『よくわかる角換わり』(マイナビ将棋BOOKS)、『矢倉△5三銀右戦法』、『矢倉の基本』(マイナビ出版)、などがある。浅野高校卒業、東京工業大学中退。趣味はギター。
【ライタープロフィール】
洗川俊一(あらいかわ・しゅんいち)
1963年生まれ。長崎県五島市出身。株式会社リクルート~株式会社パトス~株式会社ヴィスリー~有限会社ハグラー。2012年からフリーに。現在の仕事は、主に書籍の編集・ライティング。