まだ東京に住んでいた頃、我が家の子どもは、アニメは「英語で見る限り」見放題でした。
日本で英語での子育てをしていると、子どもが成長するにつれ、日本語がどんどん家庭内に入り込んできます。日々新しい経験をしては新しい言葉や概念を吸収している子どもが、覚えたばかりの言い回しを家庭内で試し始めるからです。家庭の中ではずっと英語を使っていましたが、外の世界はどっぷり日本語ですし、小さな子どもに切り替えはなかなか難しいものです。
外で経験したことを経験した言葉で両親に話したい子どもの気持ちもわかりますし、できればそういった日本語の成長は大切にしてあげたいのですが、困ったことに彼が生まれたのは英語ができないと祖父母と話すこともできない家庭環境です。夏休みにイトコといたずらをしたり、おじいちゃんやおばあちゃんと遊びに出かけたり、といった「普通の」子ども時代を過ごすには英語が使えることが必須です。
とはいえ、第二言語を育てることを「お勉強」にはしたくありませんでした。子どもが中学に入るくらいまでは、できるだけ「勉強している」と意識せずに知識や技術を獲得させてあげたいというのが、夫婦で決めたことでした。苦肉の策で子どもが好きそうなDVDを取り寄せて、「これは英語でなら好きなだけ見て良いDVD」と決めたのです。
ある日のことです。仕事を終えてバタバタと夕食の支度をしていると、妙に馴染みのある言葉のつながりが耳に飛び込んできて、思わず手を止めました。気づかないうちに子どもがDVDを再生していたようです。
“A rose by any other name is just as sweet”とアメリカ版ポケットモンスターで、ロケット団のジェシー(日本語名はムサシ)が言っています。
思わずこう声をかけると「シェークスピア?」と、当時まだ5歳ぐらいだった彼は首をかしげました。
バラは名前が違っていても美しい——ポケモンとシェークスピア
『ポケットモンスター:ダイヤモンド&パール』はアメリカでは2007年に放映が始まりました。ロケット団が登場するときの決め台詞のひとつが、先ほど引用した台詞になります。
日本語に訳すのであれば、「バラは他の名前で呼ばれても、同じくらい美しい」とでもいうところでしょうか。日本語では「天使か悪魔かその名を呼べば」と言っているところですから、「名前」のモチーフがつながっていますね。動画ではムサシがバラを口にくわえていますから、画像からの連想でこのフレーズが使われたのかもしれません。
さて、英文学に多少なりとも親しんでいる人であれば、これはどこから出てきた言葉かすぐにわかるはずです。
By any other word would smell as sweet
他のどんな言葉で呼んだって、同じくらい芳しいはずなのに
そう。あまりにも有名な「あなたはどうしてロミオなの?」に続く、シェークスピアの『ロミオとジュリエット』の一節です。二つの反目しあう家に生まれてしまった若い恋人たち。ジュリエットにとっては、まさにロミオの名前、「家名」こそが問題なのです。
切なくロマンチックなバルコニーのシーンはよく知られていますが「あなたはどうしてロミオなの?」はご存知でも「名前ってなんなのかしら?」以降は日本ではご存知ない方も多いかもしれませんね。
けれど、これは英語圏では多くの人が認識できるとても有名な一節です。「春はあけぼの」であるとか「男もすなる日記というものを」と聞いたとき、日本で教育を受けた人の多くが「あれ、なんだか聞いたことがあるな」と認識できるように、いったい誰の何という作品なのかはわからなくても、頭の片隅で「あ、知っている」と思うようなものなのです。
シェークスピアは英語を使いこなすための共通の教養基盤
大学で英語を教えていると言うと、日本ではよくそんな質問をされました。結論から言うと、現在の日本の大学で、英文学やイギリス文化ではなく、「英語の」授業でシェークスピアを取り扱うことは極めて稀だと思います。
学生が理解できるように準備をするまでが大変ですから、一般的な英語の教材として選ぶ教員が多いとは思えないのです。知り合いのシェークスピア研究者の中にもシェークスピアを全く手を入れずに脚本の形で英語の教材にしている人は思い浮かびません。(演劇学や、英文学、イギリス文化の授業であれば当然話は変わってきますが!)
実は何度かこう言われたこともあります。これもまた答えに困る質問です。まず、英字新聞が読めない状態で大学でシェークスピアに挑戦するという状況を思い浮かべること自体が非常に難しいからです。英語を始めたばかりの初心者にシェークスピアを原語で読むことを勧めるか、と言われたらおそらく私も首をかしげるでしょう。
けれど、ひとつ言えることは、ある程度英語を使うようになると、シェークスピアの存在はどうしても避けて通ることができないということです。
今年(2018年)7月にイギリスの外相ボリス・ジョンソンが辞表を出したとき、イギリスの新聞は “Et tu, Boris?” という見出しを出しました。言わずと知れたシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』のセリフ “Et tu, Brute?”(ブルータス、お前もか)のもじりです。英語圏では親しい人間の裏切りを示す言葉として流通しています。会話で使われることはあまりありませんが、政治の記事の見出しにはしばしば使われます。
「シェークスピアだけを読んでも英字新聞は読めるようにならない」はおそらく正しいでしょう。けれど、シェークスピアに全くふれることなく、英語がすらすら読めるようになるかというと、それもまた極めて難しいのではないかと考えられます。技術書はその限りではありませんが、新聞や雑誌など社会に言及する媒体では意外なところに使われているからです。「知らないと記事や見出しの意味がわからない」以前に「英語力が上がっていくうえで否応なく出会ってしまう」のです。
日本のトップ企業をしのぐ? シェークスピアのブランド力
加えて経済的にも大きな影響力を持つのがシェークスピアです。2012年にブランドの影響力を調べたBrand Financeは、シェークスピアのブランド力は現在約6億ドルにのぼると発表しました。これは女優マリリン・モンローと歌手エルビス・プレスリー、それにボクサーのジョージ・フォアマンのブランド価値を足して倍にした価値になるという計算です。ちなみに、ブランドレーティングはAAA。TOYOTAがAA+ですから、堂々と王座を占めているのです。
同レポートは、現在世界中でシェークスピアを学んでいる子どもの人数は、クウェートやウクライナ、ベトナムなどを含む幅広い地域で、約6,400万人にのぼるとしています。シェークスピアが「共通の教養基盤」として通じる範囲の広さを示していると言っても良いでしょう。
ポケモンに引用され、新聞の見出しに使われ、頻繁にイギリスだけでなく英語圏の文章表現全般に影響を及ぼすシェークピア。これを「役に立たない」と言い切るのは、極めて難しいことです。というよりも「役に立つか」「立たないか」以前に、「そこにあると意識さえされずに」文化の中にあるのがシェークスピアです。
我が家の5歳児と私の夕食の会話は、その日、そんな風に広がっていきました。ポケモンのあのシリーズを見た後、そんな会話を交わした家庭は多かったのではなかったのではないかと思います。英語圏の子どもたちは、必ずしもそれと意識しないでシェークスピアのセリフに出会うことが多いのです。
(参考)
“Shakespeare’s brand worth valued at $600 million – double the combined value of Elvis and Marilyn” in Campaign Brief Australia(2018年7月15日閲覧)