子どもの才能を花開かせ、思い描く夢をつかんでほしい――。子を持つ親なら、誰しもがそう願うことでしょう。しかし、まだ幼い子どもの才能の芽を見つけるのは、簡単なことではありません。言葉にならない子どもの興味を感じ取るにはどうすればいいのか、子どもが本当に打ち込めるものに出会うために親ができることはあるのか。小学1年生で新体操をはじめ、オリンピック出場という夢を叶えた畠山愛理さんに、ご自身の母親との関係を踏まえて聞いてみました。
構成/岩川悟 取材・文/大住奈保子(Tokyo Edit) 写真/玉井美世子
「自分で決めた」から本当に好きなことに出会えた
ロンドン、リオと二度のオリンピック出場を果たし、現在はスポーツキャスターとしても活躍中の畠山愛理さん。幼少期は、ダンスや歌が大好きな明るい女の子だったそう。
「とても負けず嫌いな子どもでしたね。ふたりの兄に負けたくなくて、自分だけキッズプレートで食事をするのをイヤがっていたくらいでしたから(笑)。兄たちと遊ぶときはもっぱらサッカーやかけっこがメイン。体を動かすことはその当時から大好きでした」
両親もスポーツが好きで、休日は屋外に出かけることがほとんど。そんなこともあって、小学生になって習い事を選ぶときも、たくさんのスポーツの体験教室に連れて行ってもらったと言います。
「ピアノのような文科系のものだけでなく、バスケットボール、クラシックバレエなど、数え切れないくらいたくさんの体験教室に参加しました。そのなかで、『一番やってみたい!』と思ったのが、新体操だったんです。なにより綺麗なリボンが印象的でしたし、曲に合わせて踊るのが楽しくて」
小学生くらいの子どもの習いごとと言えば、「みんながやっているから」と流れではじめることも多いかもしれません。しかし、畠山さんが新体操をはじめたきっかけは、周囲とは少しちがっていました。
「母は、わたしに自分で決めさせてくれたんです。『新体操が一番楽しかった』と伝えると、すぐに『いいよ、やろう!』って言ってくれて。その後も、練習への送り迎えをはじめ、サポートを続けてくれました」
「夢への近道を、母がつくってくれた」。畠山さんは笑顔でそう語ります。新体操に限らず、スポーツは小さなころから身体づくりをはじめておかなければ、一流選手になるのは難しいとされています。早いうちに自分に合った競技に出会えるかどうかが、その後の明暗をわけます。
「たくさんのスポーツを体験し、そのなかから興味のわくものを自分で選ばせてもらったからこそ、わたしは新体操で夢を叶えることができました。そういう環境を整えてくれた母には感謝しかありません」
親子のコミュニケーションタイムが自信の源に
とはいえ、子どもは自分の気持ちをうまく言葉にできません。やりたいことがあってもそれを行動に移せないことも多いでしょう。だからこそ、周囲の大人がそれを汲み取ってあげることが大切だと、畠山さん。
「わたし自身に子どもはいませんが、自分の経験から言えることは、とにかくお子さんの話に耳を傾けてほしいですね。大人からすると意味がないように思える、ちょっとした話でもいい。それが、その子が好きなことや才能につながっていると思うんです」
畠山さんにとっては、自宅でのストレッチの時間が母親とのコミュニケーションタイムでした。床で背中を押してもらいながら、その日の報告を毎日のようにしていたそうです。
「子どもって、そのときに興味のあることを一生懸命話すと思うんです。だからしっかりと話を聞けば、『この子はこういうことが好きなんだ』というのが見えてくる。子どもの興味を知ることができれば、サポートだってしやすくなりますよね。それが、夢への第一歩になるはずです。一方で子どもって、年齢を重ねるたびに気持ちが変わっていくという特性も持っています。だから、興味の対象が途中で変わっても全然いい。そのときそのときのお子さんの気持ちをしっかり見つめて、その子が本当に楽しんでいることを見つけてあげればいいのではないでしょうか」
親が自分の話に興味をもってくれる、自分の気持ちを受け止めてくれる。そう感じられたことで、新しいものごとにチャレンジする勇気が出てきました。
「子どものころって、まだまだ自分の考えが定まらないから、いくら自分がやりたいことでもちょっとしたきっかけで自信をなくしてしまいがちです。でもだからこそ、いろいろなことに挑戦してほしいなって。“自分”というものが固まる前にたくさんの経験をしたほうが、才能の幅は広がるとも思うんです。そんなときに心を支えてくれるのが、親とのコミュニケーションに他なりません。失敗しても、『お父さん、お母さんは自分の味方でいてくれるんだ』と思えれば、子どもは何度でも立ち上がり挑戦していくはずです。わたし自身もそうでしたから」
「好き」という気持ちが困難を乗り越えさせてくれる
子どものころに新体操という「好きなもの」に出会い、オリンピック代表になるまでに極めた畠山さん。昨今は、「好きという理由だけで職業を選んでも続かない」という声も聞こえてきます。しかし、畠山さん自身は新体操を好きだからこそ、ずっと続けることができました。
「新体操をはじめてから競技生活を引退するまで、辛いことも当然たくさんありました。新体操ってすごくシビアなスポーツで、練習中にまゆげがちょっと下がっているだけで『外に出ていきなさい!』なんて言われてしまうんです。いつも笑顔で表現しなければならないので、それはそうなのですが……なかなか難しいものでもある。練習が苦しくて涙が出てきてしまっても、口角だけは上げていないといけないから、笑いながら涙を流している選手もいましたよ(笑)。そんな厳しい環境に耐えられたのも、新体操が大好きだったからだと思います。落ち込んでいても、曲が流れ出すと楽しくなってくるんです」
新体操に出会った瞬間から、とにかく“新体操熱”がすごかったという畠山さん。1日24時間、いつでも新体操を感じていたかったのだと言います。
「小学生のころは、新体操のビデオを観るのが日課でした。練習から帰ってきたら、上手な選手の演技をビデオで観ながら夕食を食べていたほどです。お行儀が悪いから本当はいけないですけどね(苦笑)。練習以外の時間も、自分のなかのすべてを新体操で埋め尽くしたかった。当時見ていた選手の演技はほぼ全部、完コピできるほどでしたから。図工や家庭科の授業でつくる作品も、新体操に関係あるものばかり。自分がバランスをとっている絵を描いたり、新体操に使う手具をモチーフにしたランチョンマットをつくったりしていました」
※大好きな新体操のことを熱を込めて語る畠山さん。「好き」という気持ちが、オリンピック出場を実現させていきました
これほど好きだった新体操ですが、意外にもチームのなかで一番上手ではなかったのだと、畠山さんは振り返ります。
「ロンドンオリンピック当時はチーム最年少だったこともあり、技術にはまったく自信がありませんでした。もちろん、日本代表に選ばれたからといってレギュラーに入れるとは限らず、いつ外されるかもわかりません。そんなプレッシャーもつねにありました。それなのにずっとレギュラーとしてやってこられたのは、気持ちの強さがあったからこそ。夢を叶えたいという強い気持ち、そして根本に『好き』という気持ちがあったから、くじけずにがんばれたのではないでしょうか」
新体操が大好きという言葉どおり、目を輝かせながら当時のことを語る畠山さん。子どもが才能を生かして前向きに歩んでいくために親ができることはたくさんあります。子どもの「好き」なものを見つけるということも、もちろんそのひとつでしょう。お子さんの「好き」がどこにあるのか、ぜひ一緒に探してみてください。
■ 元オリンピック新体操日本代表・畠山愛理さん インタビュー一覧
第1回:【新体操は身体を柔軟にして表情を豊かにする】~習い事としての新体操のメリット
第2回:【これからの時代に必要なのは、共感を伴う自己表現力】~表現力の高め方
第3回:【子どもの才能は「好き」のなかにある】
第4回:【わたしを救った「反省ノート」と「未来ノート」の存在】~挫折の乗り越え方
【プロフィール】
畠山 愛理(はたけやま・あいり)
1994年8月16日、東京都出身。6歳から新体操をはじめ、2009年12月中学3年生のときに日本代表であるフェアリージャパンオーディションに合格し、初めて新体操日本ナショナル選抜団体チーム入りを果たす。2012年、17歳で自身初となるロンドンオリンピックに団体で出場し7位入賞に貢献。その後、日本女子体育大学に進学し、2015年の世界新体操選手権では、団体種目別リボンで日本にとって40年ぶりとなる銅メダルを獲得。2016年のリオデジャネイロオリンピックにも団体で出場し、8位入賞。リオデジャネイロオリンピック終了後に現役引退を発表する。 また、2015年に開催されたミス日本コンテストにおいて、大会への応募に関わらず、美と健康の素晴らしい資質を持った女性のさらなる活躍を応援するという特別栄誉賞「和田静郎特別顕彰ミス日本」を受賞した。現在は、新体操の指導、講演、メディア出演などで活躍中。また、これまでの経験を活かしイベントなどでダンスを踊ることも。新体操の魅力を伝えるため、日々奮闘中。2018年、NHK『サンデースポーツ2020』のリポーターに就任。またBS-ジャパン『バカリズムの30分ワンカット紀行』のアシスタントとしてバラエティーにも挑戦している。
【ライタープロフィール】
大住 奈保子(おおすみ・なほこ)
編集者・ライター。金融・経済系を中心に、Webサイト・書籍・パンフレットなどのコンテンツ制作を手がける株式会社Tokyo Editの代表を務める。プライベートでは、お菓子づくりと着物散策、猫が好きな30代。
これまでの経歴は、http://www.lancers.jp/magazine/29298から。
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