からだを動かす/バレエ 2018.2.28

頭で理解したことを身体で表現する。「バレエはコミュニケーションツール」バレエ研究所・小山久美先生インタビュー【後編】

編集部
頭で理解したことを身体で表現する。「バレエはコミュニケーションツール」バレエ研究所・小山久美先生インタビュー【後編】

小さい子どものお稽古事としてすっかり定着した「バレエ」。優雅で華やかな世界に一度は憧れを抱いたこともあるのではないでしょうか。そして我が子に可愛らしい衣装を着せてステージで可憐に踊ってほしい、と願ったことがある人も少なくないはずです。

バレエを知らない人にとっては憧れの世界、そしてバレエをすでに習っている人にとっては、決して甘くはない厳しい現実の世界。また近年では、ローザンヌ国際バレエコンクールで優勝した菅井円加さんをはじめ、海外のバレエ団で活躍されている一流の日本人バレリーナも着実に増えています。

今回は国内で唯一の大学付属バレエ総合研究機関である昭和音楽大学バレエ研究所の所長であり、ご自身もバレリーナとしてご活躍された小山久美先生に、バレエ教育の過去と現在、そしてバレエが子どもの肉体面と精神面に与える影響について、たっぷりとお話をうかがいました。

【後編】ではバレエのレッスンをすることによって、子どもたちの身体と内面にどのような影響を及ぼすのか、少しシビアな視点からお話していただきました。

「始める時期」ではなく「始めてからの頻度」

ーー「バレエは何歳から始めたらいいのか」という問題なのですが、ネットなどでも諸説ありますよね。先生ご自身はどのようにお考えでしょうか?

小山先生:
早ければ早いほど上手になるかっていうと、それは確実に「NO」だと思います。現実には、個人差がとてもあると思います。

ーーそれは身体能力や才能の部分でしょうか?

小山先生:
いえ、むしろ精神的なものです。まず、一般的に子どものクラスはレッスン時間を1時間くらいに設定しています。少なくともその時間集中できるようになってから始められたほうがいいでしょう。レッスンでは先生の言うことを聞いて、それを理解して、身体で表現する、という作業が必ず必要になるので「お母さんの言うことじゃないと聞けない」という状態の子にはまだ早いかもしれないですね。

ーーでは小学生くらいになってからでも遅くはないのでしょうか?

小山先生:
まったく問題ありません。プロを目指すのであれば、始める時期よりもむしろ「頻度」が重要になります。例えば、ロイヤルバレエでもボリショイバレエでも、基本的に受け入れるのは8~10歳と言われています。だけどその代わり、そこで始めたのなら毎日するわけです。職業訓練校ですから、それは当たり前なんです。

だから極端な話、2歳からバレエを始めて週一回のレッスンを12歳まで続けていたとします。でもその状態で12歳になってプロになりたいと思っても遅いかもしれない。週に一回のペースなら、前の週のことを思い出しただけで前半は終わっちゃう。一方、レッスンが毎日となると積み重なる部分が増えていき、プラスがすごく大きくなる。もちろん小さいころに始めたことが無意味であるとは思いません。でも早ければ早いほどいいかというと、決してそうではないんです。

バレエ研究所・小山久美先生インタビュー後編2

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無意識のうちに身につく身体能力

ーーバレエが成長過程の子どもの身体に与える影響についてお聞きします。姿勢や柔軟性についてはもちろんですが、他にも特徴的なものはありますか?

小山先生:
まずバレエは、他のスポーツに比べて動きが左右対称であるということ。例外はありますが、ほとんどが右でやったら左もやる、前をやったら後ろもやる。そして全身をくまなく使います。そのため、運動能力が満遍なく刺激されるのです。

今の子どもたちを見ていると、ゲームやスマホの影響からか、姿勢が悪くなってきていると感じます。また、普通の外遊びもあまりしなくなりましたよね? 普通に走って飛んで、という動きはバレエでも必要ですが、全体的に運動能力が落ちてきているような印象を受けますね。だって「後ろ向きに走ってみて」というと、すごくおぼつかない子がいますよ(笑)。

バレエの舞台では、基本的に客席にお尻を向けません。そもそもの成り立ちが貴族や王様の前で踊るものとして始まったので、失礼のないように後ろを向かず、足を開いてどの方向にも動きやすくしているんです。バランスを取るために姿勢を崩さないようにするので、体幹もすごく鍛えられますよ。

また、舞台の上でお客さまから見えている前の部分を綺麗に見せるには、後ろを綺麗にしなきゃ無理なんです。プロは常に反対側も意識しています。姿勢の良さにももちろんつながりますが、反対側が釣り合っていることで優雅でしなやかな動きを作り出しているのではないでしょうか。それが立ち居振る舞いが綺麗になるということだと思います。

ーーバレエを続けるうちに少しずつ身につき、日常の動作にも反映されていくというわけですね。

小山先生:
少し話はズレますが、世界的なダンサーのセカンドキャリアを支援する国際的な組織があるんですね。ダンサーの寿命って短いので、プロとしてのキャリアが終わった後どうするか、その援助をする団体があるんです。そこで彼らが言っているのが、「ダンサーというのは本当に無意識に自分が能力を持っていることを知らない」ということ。

次の仕事を探すにあたって、ダンサーは自分が踊りしかできないと思い込んでいるんです。だけど本当は踊りの技術以外にも、たくさんの素晴らしいものがしっかりと身についている。そのことを他者から指摘されるまで気づかないんです。例えばスタミナ、チームワーク、忍耐、痛みや疲れに対処する方法、そして当たり前すぎて見逃しがちなのは「時間を守る」こと(笑)。舞台やリハーサルは言うまでもなく毎回時間厳守ですから。それに痛くても疲れててもやる、っていうのは当然だと思っているので、みんな自覚がないんですね。

バレエ研究所・小山久美先生インタビュー後編3

身体表現を通して育まれるコミュニケーション

ーーバレエを続けた結果として身につく能力や社会性、人としての成長などは、後になって気づく部分が大きいのかもしれませんね。そういった点では、バレエは肉体面だけではなく内面的な部分にも大きな影響を与えていそうですね。

小山先生:
そうですね。私は踊りはひとつのコミュニケーションツールであると思っているんです。言葉ではない、身体表現でのコミュニケーション。人と心がつながったとき、誰もが喜びを感じますよね。それと同じで、舞台の上から観客に自分の感情を身体で表現する、そしてその想いが相手に伝わること、それが大切なんです。ストーリーが理解できなくても、顔の表情や身体の動きで辛いことや苦しいこと、嬉しいことを感じ取ってくれたら、コミュニケーションは成立するんです。

今の時代、顔を付き合わせなくてメールだけ、というのが便利ではありますが少し寂しいですよね。だからこそ、私は言葉ではないコミュニケーションツールとして、バレエが果たす役割を伝えたいと思っています。

ーー他にも子どもたちに対して目に見えない部分での成長を感じられることはありますか?

小山先生:
これも身体表現に関係しますが、バレエは耳で聞いたものをそのままリピートではなく、身体を通して表すという分解作業が絶対に必要なんです。それは成長のひとつの側面にもなっていると感じます。

ーー理解力が養われるということでしょうか?

小山先生:
一言でいうと「理解力の多面性」ですね。学校の勉強なんかは頭だけで考えて済む理解力。理解したことを「わかった」ってみんな言いますよね? でもそれが実際にできていなければわかったことにはならないんです、バレエの場合は。少し理屈っぽく分析すると、聞いたことをワンクッション違う形に還元して、その理解を出すという段階を踏まなければならないわけです。頭で考えたことと身体を通す作業を連動させるんです。

ーーそれを難しく考えずに、無意識のレベルでできるようになるんですね。では続いて少し現実的な問題として、実際子どもたちはどの段階で壁にぶつかるものなのでしょうか。

小山先生:
残酷なことに、バレエというものは持って生まれた身体の条件に左右される部分が大きいんです。柔軟性はもちろんですが、身長や手足の長さなど、努力でどうにもならない部分に直面したときに悩む子は多いですね。とくにバレエの動作をするにあたって重要な股関節。これは生まれつき硬い・柔らかいというのがはっきりと分かれます。腕や肩のつくりにも同じことが言えますね。苦労せずにスムーズに動かせる子もいれば、どんなに努力しても絶対にこれ以上動かない、という子もいる。

なので、そういう自分の持って生まれた能力や資質を客観的に見ることができるようになったとき、壁にぶつかることはあるでしょうね。でもそこで割り切って、趣味として楽しみながら続ける子もいれば、「絶対に諦めたくない」とコンプレックスをバネにして大きく成長できる子もいます。多かれ少なかれ、コンプレックスのないプロフェッショナルはいません。ダンサーを続ける要素のひとつとして、「諦めない」ということは絶対に必要です。

ーー突き詰めれば突き詰めるほど壁がいくつもあって、それを乗り越えなければならないんですね。また、成長の過程で考え方も変わります。それでも続けられる子は、バレエが好き、楽しい! という気持ちが根底にあるはずです。私たち大人は、そんな子どもの気持ちをしっかりと受け止めて、より良い環境を用意してあげたり、最善の選択ができるように導いてあげたりするべきだと思いました。

最後に、バレエを習わせたいけれど敷居が高いと感じられているなど、一歩踏み出せない親御さんに向けてメッセージをお願いします。

小山先生:
敷居が高い理由のひとつに費用の問題がありますよね。実際に普段のレッスン料から発表会まで、かかるお金は決して安くはないでしょう。でも今の時代は恵まれていることに、お稽古場が全国にたくさんあり、それぞれ違う方針で運営しています。大きな組織が運営しているスクールもあれば、町の小さなお稽古場でマンツーマンで教えてくれるところもあります。よく探してみれば、きっとご家庭の事情やそれぞれの条件に合うお教室が見つかるはずです。

あとは何よりお子さんが「やりたい!」と思う気持ちが大事。お子さんがレッスンを受けている様子をよくご覧になって、ちょっと早かったかな? と思えばもう少し大きくなってからまた始めたっていいんです。むしろお子さんにとってベストなタイミングで始めることの方が、バレエとお子さんとの良い出会いが生まれると思います。

***
今回お話をうかがって、バレエは決して特別な人に向けた習い事ではなく、誰でも気軽にチャレンジする扉が開かれている世界なのだということがわかりました。イメージだけで「うちの子には無理かも」と諦めずに、お子さんが興味を持つきっかけ作りから始めてみてもいいかもしれませんね。小山先生が総監督を務められている「スターダンサーズ・バレエ団」では、なんと『ドラゴンクエスト』をバレエ作品として上演しています。このような取り組みは、子どもだけではなくバレエに馴染みがない大人にとっても、バレエを知る良いきっかけになるのではないでしょうか。

■ バレエ研究所・小山久美先生 インタビュー一覧
第1回:頭で理解したことを身体で表現する。「バレエはコミュニケーションツール」バレエ研究所・小山久美先生インタビュー【前編】
第2回:頭で理解したことを身体で表現する。「バレエはコミュニケーションツール」バレエ研究所・小山久美先生インタビュー【後編】

【プロフィール】
小山 久美(おやま・くみ)
慶應義塾大学文学部哲学科卒業。1979年スターダンサーズ・バレエ団入団。84年North Carolina School of the Artsに留学、同年文化庁在外研修員としてアメリカにてメリッサ・ヘイドンに師事。翌年よりフロリダのタンパ・バレエ団に参加しソリスト等を務める。帰国後は、ピーター・ライト版『ジゼル』『くるみ割り人形』をはじめ、アントニー・チューダー『リラの園』『火の柱』、ジョージ・バランシン『セレナーデ』『ウェスタン・シンフォニー』、ケネス・マクミラン『ラス・エルマナス』等数多くの作品に主演。92年、村松賞受賞。2003年スターダンサーズ・バレエ団総監督、09年常務理事に就任、現在に至る。13~16年NHK放送「ローザンヌ国際バレエコンクール」解説者。近年は、子どもたちのための芸術体験プログラムや障害者に向けたワークショップを積極的に行い、教育・普及活動にも力を注いでいる。
現在、昭和音楽大学短期大学部教授、昭和音楽大学バレエ研究所所長のほか、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の文化・教育委員、文化芸術立国実現に向けた文化庁長官アドバイザリーメンバーも務める。