子どものころから活発で、体操が大好きな少年だった田中光さん。3歳から体操教室に通い、練習環境に恵まれなかったなかで中学校では見事に全国大会制覇を達成。体操の名門高校に進学し、1996年のアトランタオリンピック体操競技に出場。オリンピックの舞台で新技を成功させ、その技は自身の名前から『TANAKA』と認定されるなど活躍しました。
引退後は、創作ダンスやオペラ、舞台などにも挑戦。現在は、流通経済大学で幼少児教育・健康教育・介護予防などをテーマとした研究を行う他、体操教室にて子どもたちに体操指導を行っています。
田中さんに、子どもにはいつから運動をさせるのがいいのか、そして早い時期から体操を習わせるといいとされる理由について語ってもらいました。
運動が「できる子」と「できない子」はいつ決まる?
——まず最初に、運動はできるだけ早い年齢からやらせるほうがいいのでしょうか?
田中さん:
最近の子どもは、「つまずいてよく転ぶ」「転んでもすぐに手が前に出ない」「ボールが目や顔によく当たる」など、ひとむかし前の子どもでは考えられないようなことがよく起こります。これは、TVゲームの影響や遊び場の減少でむかしのように外で遊ぶ子どもが少なくなってきたことが原因のひとつと考えられています。
じつは現代の子どもたちは、遊びのなかから自然と身につけていた怪我を回避する能力や身体の使い方が学べなくなってきているのです。たとえば、外でつまずいて転んだ経験がない子どもは転倒したときに自分の身の守り方がわからず、とっさに手を前に出して顔面を守ることができません。こうした身を守る能力も運動と関係しているため、2~12歳までの幼少期にいろいろな動きを学び経験させることは、自分自身の身体を守るためにもとても大事なことです。
——子どもの発達に応じた運動をさせることが大事?
田中さん:
はい、運動能力の発達は子どもの成長段階によって変わっていきます。たとえば、生後2カ月くらいで回転運動(寝返り)を経験し、6カ月ごろにはお座りができるようになり、8カ月ごろには「ハイハイ」ができ、伝い立ち、伝い歩き、直立歩行というように運動というものを学習していきます。
また手の動きでは、生まれてすぐは把握反射といって手に触れたものをつかむ動作を行いますが、2~3カ月経つと自分の意志でものをつかむようになります。ただし、最初から指先を器用に使えるようにはなっておらず、親指と人差し指を使ってつまむ動作ができるようになるには個人差はありますが11~12カ月かかります。
実際に運動の経験が大事になってくるのは、1~6歳くらいの幼児期の子どもたち。「スキャモンの発育曲線」(図)を見ていただくとわかるように、幼児期は神経系がすごく発達する時期となります。神経系は5歳ごろまでに80%まで成長し、12歳でほぼ100%となります。ですから、幼児期からの神経回路が伸び盛りのこの時期にさまざまな動きを経験させてあげるようにしましょう。
また、9~12歳の時期を「ゴールデンエイジ」と言いますが、効率的な動きがスムーズにできるようになり、運動がいっきに上達する時期とされています。その前の5~8歳を「プレゴールデンエイジ」と言い、ゴールデンエイジ期に運動能力が開花するためには幼児期からプレゴールデンエイジ期に幅広い運動の経験が必要になり、運動能力の基礎はこの時期につくられます。バランス感覚、回転感覚、スピード感覚といった「運動感覚」を身につけることも大事な時期です。
とはいえ、発育・発達は子どもによってかなり個人差がありますので、他の子どもと比べるのではなく、その子どもにあった時期に必要な基本的運動能力の発達をうながすような遊びや運動を経験させてあげるとよいと思いますね。
体操で自分の身体をコントロールする能力を身につけよう!
——子どもの発育・発達を考えていろいろな動きや感覚を経験させることが大事なのですね。子どもの習い事として体操はとても人気がありますが、なぜ子どもに体操をやらせるといいのでしょう。
田中さん:
まず、体操は全身運動であるということです。運動能力には「走る・跳ぶ・投げる」などがあります。ちなみに、よく「運動神経が良い」とか「運動神経が悪い」という言い方をしますが、このときの「良い・悪い」は、運動神経の太さや情報伝達速度といった神経そのものの性能を問題にしているのではないので、「運動神経」ではなく「運動能力」というほうが正解です。
話を戻しますと、わたしたちはさまざまな動きや感覚によって身体をコントロールしているわけですが、それらをすべて全身運動で体験できるのが体操です。体操は、指示された動作を行うために全身をコントロールする力が必要とされます。
この全身をコントロールする力とは、たとえば「走動作」は足だけ動かしていればいいのではなく、上半身の手の振りも大事になってきます。また、「跳動作」も足だけで跳んでいるわけではなく、手の振りや跳びだす角度が大事になってきます。「投動作」も手だけで投げているのではなく、上半身や下半身をうまく連動させて、タイミングを見計らって手首を使って投げなければボールは前にしっかり投げられません。そうした全身を使うコントロール能力を身につけ、自分の身体を思うように操れるようになるために適しているのが体操なのです。
小さいころから体操を習うことによって、脳が動きの司令を出して神経系を伝達させ身体をコントロールする「神経系のトレーニング」につながります。なおかつ、全身を動かしているということで、細かい筋肉や大きな筋肉をまんべんなく使うことになりますから、体操は子どもの身体の発達に非常にいいわけです。
運動は経験による積み重ねが大事。運動嫌いにならないように楽しく学ぶ
——体操を習うと身体をコントロールする能力がつくということですが、習うのは幼児期からでもいいですか?
田中さん:
おっしゃるとおり、幼児期が非常に重要です。自転車に乗るのも早いうちから練習するといいですが、ある程度大人になってから身につけるよりも、子どもの時期に身につけるほうが習得は早い。怪我をするリスクも小さいころのほうが少ないので、体操だけでなく、小さいうちにいろいろな経験を積ませてあげることが、運動能力だけにとどまらず、子どもが自信を持つことにもつながっていくでしょう。
——田中さんは、幼稚園や体操教室で実際に多くの子どもたちに体操を指導されていますが、むかしの子どもといまの子どもで変わったと思われるところはありますか。
田中さん:
運動というのは“経験”に依存します。ですから経験をしたことがない動きはできません。経験に依存するということは、言い換えてみれば“積み重ね”です。歩くことがちゃんとできないのに、いきなり走ることができるようにはなりません。
運動は、動作の発達で簡単な動きからだんだん複雑な動きができるようになります。基本から積み重ねていなければ、難しい動きは当然できません。年齢を重ねていくからいろいろな動きができるようになるのではなくて、経験をどれだけ積んでいるかが大事なのです。
多くの場合、運動が苦手な子どもは運動を身につける時期に適切な運動刺激や運動経験が不足しています。運動能力は自然に発達するものではありません。むかしならば、兄弟姉妹や近所のお兄さんお姉さんやあそび友だちと、自然の多く残る遊び場でいろいろな遊びを通じてたくさんの動きを経験し、運動刺激を受けながら成長していきました。しかし、現代ではむかしのように自然に運動を身につけることが難しくなってきていることは事実ですから、大人であるわたしたちが介入していかなければいけないのかもしれません。
体操は習い事として非常に人気がありますが、体操に限らず、休日には、是非お子さんと一緒に遊びながら、楽しく身体を動かしてみてはいかがでしょうか。子どもの成長は一人ひとりちがいます。運動に対して痛みや恐怖感、つまずき経験を与えて、運動が嫌いにならないように、保護者の方は焦らず子どもが前向きに運動に取り組むことができるように、励ましながら運動の楽しさを教えてあげてください。まずは遊びのなかから、子どもの発達に応じて運動能力の土台をつくっていってほしいと思います。
写真◎榎本壯三
【プロフィール】
田中光(たなか・ひかる)
1972年7月19日、和歌山県に生まれる。大阪・清風中学校、清風高校卒業後、筑波大学を経て日本体育大学大学院修了。さらに、兵庫教育大学大学院にて博士(学校教育学)の学位取得。体操は3歳からはじめるも練習環境に恵まれず本格的に体操の練習をはじめたのは中学校から。大阪の体操の名門である清風高校に入学すると、1989年全国高校選抜体操競技大会:個人総合・鉄棒優勝。1991~1995年まで全日本選手権にて平行棒5連覇を果たす。1995年の世界体操選手権では、団体で銀、種目別平行棒で銅メダルを獲得。1996年にはアトランタオリンピック体操日本代表として出場。平行棒ではオリジナル技(懸垂前振りひねり前方かかえ込み2回宙返り腕支持)を成功させ、F難度の『TANAKA』として認定された。引退後はオペラや舞台界でも活躍。タレント活動の他、白百合女子大学では初等体育科指導法、器械運動を担当、流通経済大学教授として幼少児教育・健康教育・介護予防などをテーマとした研究、指導を行っている。また、自身がプロデュースする会員制のクラブ 田中光体操クラブ『TAISO LAND』でも子どもたちに体操を指導している。おもな著書に、『ヒカルくんのスポーツのコツ絵事典―体育が好きになる!』(PHP研究所)、『子どもの体育』(ふくろう出版)、『母と子の1分体操』(海竜社)、『ひかる先生のやさしい体育』(PHP研究所)などがある。
【ライタープロフィール】
田口久美子(たぐち・くみこ)
1965年、東京都に生まれる。日本体育大学卒業後、横浜YMCAを経て、1989年、スポーツ医科学の専門出版社である(有)ブックハウス・エイチディに入社。『月刊トレーニング・ジャーナル』の編集・営業担当。その後、スポーツ医科学専門誌『月刊スポーツメディスン』の編集に携わる他、『スピードスケート指導教本[滑走技術初級編]』((財)日本スケート連盟スピードスケート強化部)などの競技団体の指導書の編集も行う。2011年10月「編集工房ソシエタス」設立に参加。『月刊スポーツメディスン』および『子どものからだと心白書』(子どものからだと心連絡会議)、『NPBアンチドーピング選手手帳』((一社)日本野球機構)の編集は継続して担当。その後、『スピードスケート育成ハンドブック』((公財)日本スケート連盟)の他、『イラストと写真でわかる武道のスポーツ医学シリーズ[柔道編・剣道編・少林寺拳法編]』(ベースボール・マガジン社)、『日体大ビブリオシリーズ』(全5巻)を編集。現在は、スポーツ医学専門のマルチメディアステーション『MMSSM』にて電子書籍および動画サイトの運営にも携わる。