母親の後押しもあって映画の世界に飛び込んだ若き日の白石和彌さん。助監督という仕事の魅力にどっぷりと漬かりながらも、実はいつか映画業界から足を洗うだろうと思っていたのだそう。そんな白石さんにとって大きな転換点となったのは、ある有名監督との出会い。映画の仕事に携わるという夢はすでに叶えていた白石さんは、映画監督になるという新たな夢を抱くのでした。
構成/岩川悟 取材・文/清家茂樹(ESS) 写真/玉井美世子
いまでも思い出すだけで体が熱くなる屈辱
早い人なら6、7年で助監督から監督になりますが、僕は十数年にわたって助監督を務めました。それでも助監督という仕事を続けられたのは、やっぱり映画が好きだったから。そうじゃないとできないですし、助監督として映画づくりに携わることが本当に楽しかったんです。いまでも監督じゃなくて助監督をやりたいって思うこともありますもんね(笑)。助監督だから楽しめるという製作の場面はたくさんあるんですよね。
例えばモブシーン(多くのエキストラを用いて群衆を描くシーン)もそのひとつ。それから、ちょっと特殊な案件ですね。たとえば船がいくつも必要なシーンだったりすると、飲み屋に行って地元の漁師さんと知り合って船を出してくれるよう協力をお願いしたりね(笑)。それで計画を練って仕切るわけです。本当にそういうことが面白い。僕自身はいまでも監督より「番頭」向きだなって思っているくらい。
そういうこともあって、正直に言うと僕はどこかのタイミングで映画業界から足を洗うんだろうなと思っていました。いまでこそだいぶ変わってきていますが、当時は若くないと務まらないのが助監督という仕事だった。40代以上の助監督なんてほとんどいなくて、監督になれなければ辞めるかプロデューサーなど別の業種に転向するか。僕はそういう気にはなれなくて、助監督を辞めたら田舎に帰るかなにかしないといけないなとぼんやりと考えていたんです。
そんなときに出会ったのが有名なひとりの監督でした。もともとは某ミュージシャンのプロモーションビデオの予定でしたが、その監督に依頼するならとショートフィルムを撮ることになったんです。ただ、話は大きくなっても予算はプロモーションビデオの予定だったときのまま。予算が足りないから助監督は僕ひとりだし、美術の仕事や他の雑務も僕がすることになった。撮影日数は3日くらい。頑張ればなんとかなるところでしたが、思いのほかその監督の要領が悪い……(苦笑)。撮影が遅い人もいますから、それはいいんですよ。ただ、そのフォローのために初日からほとんど一睡もしないまま迎えた3日目、彼が太鼓持ちみたいな役者たちと僕を指してこう言って笑ったんです。「あいつ、なんで寝ないままであんなに働けるんだろうね、へへへへ!」って。
『名前だけ知られてるあいつより、俺は絶対に面白い映画を撮れる!』——そう思った。いまでもそのときのことを思い出すと体が熱くなる。その反骨心こそが、『監督になろう』と決意した最大の動機ですね。
子どもの骨を拾う覚悟をすることも親の役目
そうして撮ったのが、『ロストパラダイス・イン・トーキョー』(2010年)でした。監督と助監督とでは仕事がまったくちがうので、正直に言うと、僕自身にはうまくいったのかいってないのかわからなかった。いまでこそ冷静に見る力も身に付いたとは思っていますが、そのころは自分の作品を客観視するのが難しくて……。当時は映画祭などで見る機会もありましたが、実はそれ以来その映画は見てませんからね。ただ、周囲の人たちは「いい出来だと思うよ」って言ってくれました。
そして、『ロストパラダイス・イン・トーキョー』がいろいろな人の目に留まってくれたおかげで、僕と映画を撮りたいと言ってくれる人がひとりふたりと現れてくれました。それが『凶悪』(2013年)につながった。『凶悪』は自分の衝動の部分もありながらも、僕のなかでは“技術”のほうが割合として大きい作品。それこそ、助監督を十数年やってきて手に入れた引き出しなどを詰め込みました。その作品が評価されたことは本当にうれしいですね。
『凶悪』を撮って気付いたことがひとつあるんです。映画界のなかには波というか流れみたいなもの、はやりの作品の方向性がある。でも、僕は人とちがうことをやっているという感覚を強く感じた。言ってみれば「隙間産業」というかね。その他大勢と反対側にいるからこそ目立てたり、注目してもらったりしたんだと思います。誰かがすでに開拓した同じカテゴリーのなかで勝負しても、パイオニアにはなかなか勝てない。夢を叶えるにあたって、そういう発想を持つことも大事かもしれません。
最後に、夢を追いかけている子どもたちを応援している親御さんに伝えたいことがあります。常識的に考えれば、普通は順番として子どもより親が先に死ぬものですよね。子どもに骨を拾ってもらうことが正しいというか幸せなことなのかもしれませんが、世の中にはそうならないケースだってある。僕には小学5年の娘がいます。彼女が危険な冒険に旅立ちたいだとか、それこそ戦場カメラマンになりたいと思ったとしたら、どうすべきなのかと自問自答するんです。
もちろん、生命に関わるような夢だったら親として反対もするでしょう。それでも、その冒険が本当に彼女の夢であれば止められない。若気の至りは止められないんですよ。そういう場合、親になにができるのか。そこで僕は、子どもの骨を拾ってあげられる覚悟を持っていたいと思う。それが夢を追う子どもを持つ親の最大の役目じゃないでしょうか。まあ、うちの娘はすごく石橋を叩いて叩いて渡るタイプなので、冒険はしないかもしれないですけどね(笑)。でも、子どもの人生は親の人生ではないのだし、そういった覚悟を持つことはとても大事なことだと思っているんです。
■ 映画監督・白石和彌さん インタビュー一覧
第1回:【夢のつかみ方】(前編)~「やってやる!」という気概〜
第2回:【夢のつかみ方】(後編)~人生を変えた「反骨心」〜
第3回:【ものを「創る」ということ】〜失敗を見守ることができる親でありたい〜
第4回:【子どもに見てほしい映画】〜映画は大人への扉を開いていくメディア〜
【プロフィール】
白石和彌(しらいし・かずや)
1974年12月17日生まれ、北海道出身。1995年、中村幻児監督主宰の『映像塾』に参加。以後、若松孝二監督に師事し、助監督としてさまざまな映画作品で腕を磨き、2010年、『ロストパラダイス・イン・トーキョー』で長編監督デビュー。2013年、社会派サスペンス・エンターテインメント映画『凶悪』で新藤兼人賞金賞など、数多くの映画賞に輝く。最新監督作『孤狼の血』が2018年5月12日に公開された。
●『孤狼の血』公式サイト http://www.korou.jp/
【ライタープロフィール】
清家茂樹(せいけ・しげき)
1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。野球好きが高じてニコニコ生放送『愛甲猛の激ヤバトーク 野良犬の穴』にも出演中。