父の突然の死、そして数々の故障などを乗り越えた田中光さん。そして、1996年のアトランタオリンピック体操競技に出場。オリンピックの舞台で新技を成功させ、その技は自身の名前から『TANAKA』と認定されるなど活躍しました。
後編では、挫折を克服したときのことや、伸びる子が持っている“我慢をする”力について語ってもらいました。
一冊の本との出会いによって変わっていった体操への考え方
――怪我で思うように練習ができなかったとき、どのように気持ちを切り替えることができたのですか?
田中さん:
「あきらめないで」とか「克服できる」と言ってくださった方々も多かったですが、ある方から、タイトルは覚えていないのですが……「この本はとてもいいよ」とスポーツの指導書を薦められたのです。その本を読むと、「100%の力で勝負するのではなく、7割の力で勝負できるようにしなさい」と書かれていました。それを読んだ瞬間、「これだ!」と思いましたね。そこから考え方を見直したことで、力が伸びていきました。
それまでの練習は、自分で理想のラインを設定して、「その理想に近づけたい」と思い、さらにその人を抜かせるように100%の力を出すための目一杯の練習をしていました。しかし「7割の力で優勝できるようにならないといけない。それくらい余裕を持ってやらないといけない」ということに気づいたのです。ということは、自分の力を100%においておくのではなくて、さらに高めないといけませんし、余裕がある演技構成にしないと本番で力が出し切れないんですね。
一か八かで余裕のない状態では勝負は勝てないし、たまたま勝てたとしてもそれは「運」でしかなく、勝利は続かないと悟りました。それで練習方法もすべて変えて、「7割の力でも失敗しなければ優勝できる」という設定に切り替えました。難しい技ばかり挑戦していては自分に余裕がなくなってきますので、技も見直すことで客観的に自分を見ることができるようになりました。
さらには、周囲のことも見えるようになり、いい結果が出せるようになったのです。人から薦められて読んだ本でしたが、そこに書かれていた「7割という考え方」がわたしの心に響き、そこから体操人生は大きく変わったと言えます。
アトランタオリンピック出場が決定したときは「ほっとした」気持ちが一番でした。失敗しないように、慎重に慎重に考えて選考会に臨みました。ですから、予選のほうが緊張してオリンピックの本番ではあまり緊張しなかったほどです。
――その後、怪我を克服され、アトランタオリンピックに全日本代表として出場を果たし、平行棒ではオリジナル技『TANAKA』(懸垂前振りひねり前方かかえ込み2回宙返り腕支持:F難度)も成功させました。田中さんが目指した体操はどのようなものだったのでしょうか。
田中さん:
器械体操の正式名称は「Artistic Gymnastics」で「芸術的な」という意味があります。ですからわたしは、体操というより芸術のようなイメージを持っています。じつは3歳のころは、落ち着いてものごとに取り込めるようにするためとピアノも習っていたんです。本格的に体操をはじめるまでは音楽にも熱心に取り組んでいました。その影響もあると思うのですが、いつも「芸術的な体操をしたい」と思っていました。
競技の世界では勝敗がはっきりしますが、そこにプラスして、自分らしさを追求していました。人によっては空中での回転の高さを得意とする人もいるでしょうし、美しく演技するのが得意の人もいると思います。わたしは美しく体操をし、芸術的に見せるというのが自分のポリシーであり、それをずっと追求していました。
アトランタオリンピックでの成績は、男子個人総合19位でしたが。新技を披露でき、自分の名前のついた技『TANAKA』として認定されたことはよかったと思っています。
“我慢する力”を持っている子どもは、将来的に有望かもしれない
――2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、日本が団体総合で金メダルを獲り、さらに内村航平選手が2012年のロンドン・オリンピックに続き、個人総合で金メダル2連覇、若手の白井健三選手が跳馬で銅メダルを獲るなど、日本中が選手たちの活躍に魅了されました。これから2020年の東京オリンピックに向けて、一層、体操をやらせたいという保護者や日本選手たちに憧れて自分も体操をやりたいと思う子どもたちが増えるのではないかと思います。そんななか、田中さんからアドバイスを送るとするなら?
田中さん:
子どものころはまず、我慢することを覚えさせることがとても大事だと思います。現在、わたしが研究していることでもありますが、“我慢できる力”が、成功を収めるためには重要であることがわかっています。たとえば、順番を守ることができないお子さんもいらっしゃいますが、それは自分の欲求が強かったらある程度は仕方がないとは思う反面、ときとして我慢して待つことや自分のことばかりを優先させないことも大切です。自分をコントロールできる子どものほうが、長い目でみたときに成功している事例が多いのです。
これは、日本国内だけでなく海外の研究でもわかっていることです。子どものいいところを伸ばすこともひとつですが、我慢できるとか、自分をコントロールするといったメンタルな部分を身につけられるような習い事をお勧めしたいですね。
――年齢的には、何歳ごろから“我慢をする”ことを覚えさせるのがいいのでしょう。
田中さん:
これは、スタンフォード大学などでのテスト調査が行われていますが、4歳くらいのお子さんを対象に、実際、どれくらい我慢ができるかというテストを行っています。わたしも、年少・年中時期から少しずつ身につけていくことがいいのではないかと考えています。
さらにこの研究では、幼児期に我慢ができる子とできない子では、横断的に20年、30年、40年と追いかけていくと、将来の年収もちがってくることがわかっています。
わたし自身も体操教室をやっていますが、見ていると凄く活発に動く子どももいますし、積極的に主張する子どももいます。それぞれの子どもの個性を大事に伸ばしてあげることは大事だと思っていますが、「先生のお話を聞いてね」とか「次はこういうことをやってね」と言ったときに、集中して話を聞くことができるとか、自分のことばかりではなく我慢ができたりする子どもは体操をやっていても確実に伸びるのです。
そういったことを考えると、体操教室もそうですが、勉強などいろいろな側面で我慢することを学んでいくこともとても大事なことなのではないかと考えています。
――体操を習うなかで“我慢する力”は身につきますか?
田中さん:
体操は、決められた何種類かの種目の得点によって勝敗が決まる競技です。得意な種目もあれば苦手な種目も出てきます。しかし苦手な種目だからといってやらなくてもいいわけではありません。何度も何度も失敗をしながら、辛くても練習を積み重ねて、やっと苦手な種目が克服できるのです。この苦手を克服する過程で子どもたちは我慢する力を養っていきます。
また、幼児期の子どもの場合、自分の欲求が押さえられずに他の人が演技をやっている間も静かに順番を待つことができないとか、指導者の話の途中でも友だちと話をはじめてしまうといった子がいます。まだ小さい子たちですからある程度は仕方ないのですが、安全に体操の練習を行うには、集中しないと怪我につながってしまいます。
体操では指示動作と言いますが、指導者が次々に動きの指示を出していきます。そのとき、自分の欲求を我慢して、しっかりと指導者の話を理解して行動できる子どもになるように指導していきます。
お受験でも体操の課題がよく使われていますが、それは技を見ているのではなくて、ちゃんと話を聞けているか、話を理解しているか、指示に対して我慢できているかを見るために、体操を判断材料としているのです。そういった意味では、お受験だけではないですが、我慢する力を養うためにも体操を小さいころから習うのは良いことだと思います。
写真◎榎本壯三
■ 元体操日本代表選手・田中光さん インタビュー一覧
第1回:【夢のつかみ方】(前編)~勉強熱心な母に感謝、運動能力の土台構築~
第2回:【夢のつかみ方】(中編)~父の突然の死、そして体操選手としての挫折~
第3回:【夢のつかみ方】(後編)~伸びる子は必ず持っている“我慢する”力~
【プロフィール】
田中光(たなか・ひかる)
1972年7月19日、和歌山県に生まれる。大阪・清風中学校、清風高校卒業後、筑波大学を経て日本体育大学大学院修了。さらに、兵庫教育大学大学院にて博士(学校教育学)の学位取得。体操は3歳からはじめるも練習環境に恵まれず本格的に体操の練習をはじめたのは中学校から。大阪の体操の名門である清風高校に入学すると、1989年全国高校選抜体操競技大会:個人総合・鉄棒優勝。1991~1995年まで全日本選手権にて平行棒5連覇を果たす。1995年の世界体操選手権では、団体で銀、種目別平行棒で銅メダルを獲得。1996年にはアトランタオリンピック体操日本代表として出場。平行棒ではオリジナル技(懸垂前振りひねり前方かかえ込み2回宙返り腕支持)を成功させ、F難度の『TANAKA』として認定された。引退後はオペラや舞台界でも活躍。タレント活動の他、白百合女子大学では初等体育科指導法、器械運動を担当、流通経済大学教授として幼少児教育・健康教育・介護予防などをテーマとした研究、指導を行っている。また、自身がプロデュースする会員制のクラブ 田中光体操クラブ『TAISO LAND』でも子どもたちに体操を指導している。おもな著書に、『ヒカルくんのスポーツのコツ絵事典―体育が好きになる!』(PHP研究所)、『子どもの体育』(ふくろう出版)、『母と子の1分体操』(海竜社)、『ひかる先生のやさしい体育』(PHP研究所)などがある。
【ライタープロフィール】
田口久美子(たぐち・くみこ)
1965年、東京都に生まれる。日本体育大学卒業後、横浜YMCAを経て、1989年、スポーツ医科学の専門出版社である(有)ブックハウス・エイチディに入社。『月刊トレーニング・ジャーナル』の編集・営業担当。その後、スポーツ医科学専門誌『月刊スポーツメディスン』の編集に携わる他、『スピードスケート指導教本[滑走技術初級編]』((財)日本スケート連盟スピードスケート強化部)などの競技団体の指導書の編集も行う。2011年10月「編集工房ソシエタス」設立に参加。『月刊スポーツメディスン』および『子どものからだと心白書』(子どものからだと心連絡会議)、『NPBアンチドーピング選手手帳』((一社)日本野球機構)の編集は継続して担当。その後、『スピードスケート育成ハンドブック』((公財)日本スケート連盟)の他、『イラストと写真でわかる武道のスポーツ医学シリーズ[柔道編・剣道編・少林寺拳法編]』(ベースボール・マガジン社)、『日体大ビブリオシリーズ』(全5巻)を編集。現在は、スポーツ医学専門のマルチメディアステーション『MMSSM』にて電子書籍および動画サイトの運営にも携わる。