日本を代表するパラアスリートとして活躍する土田和歌子さん。高校2年生の時に交通事故に遭い、以後の人生を車いすで生活することを余儀なくされますが、天性のポジティブ思考で挫折を乗り越え、パラアスリートとしてトレーニングに励んできました。
アスリートになるためには戦える体をつくることが大切ですが、そこには子どもの頃からのお母さんの教えが役に立っているそうです。体づくりに必要なお母さんの教えとは、どういうものだったのでしょうか。
構成/岩川悟 取材・文/田口久美子 写真/榎本壯三(メインカットのみ)
母がつくってくれたバランス最高のごはん
――肉体改造を目指したトレーニング面はご主人の高橋慶樹さんと二人三脚で取り組まれていますが、栄養面も体づくりには重要な要素になってきます。どのような取り組みをされてきたのでしょう。
土田さん:
栄養が体づくりを行ううえでとても大事なのは言うまでもありません。わたしの母はとても健康管理に気を配っていた人で、食事に関しては小さな頃から母親の教えを受けています。その教えは、単にカロリー計算云々というのではなく、人間にとって必要な栄養素を色合いから考える、バランスのよい食事のことでした。緑色のおかずがなければ、冷蔵庫を探して緑黄色野菜を食卓に取り入れるとか、肉・魚のたんぱく質も毎回同じように食べるのではなく、1日おきに魚と肉を入れ替えて食べるといったことです。
食卓に並ぶのは、基本的に和食が中心でしたね。子どものときには若干の好き嫌いこそありましたが、母のおかげでいまではすっかり好き嫌いがなくなりました。昨今は好き嫌いが多い子どもが増えていると聞きます。運動をするという理由に限らず、できるだけ好き嫌いをなくすことは子育てにおいて大事なことですよね。
――ここしばらく、子どもへの食育の重要性が問われています。そういう観点から見ても、土田さんのお母さんが取り入れていた栄養素を色合いから考えていく方法はとてもわかりやすいですね。
土田さん:
子どもの頃に母から受け継いだ知識はとても役に立っています。わたしはスポーツをはじめてから自活していましたので、日常生活のなかでスーパーへの買い物も炊事も当然こなしています。キッチンは車いすでも使いやすいようにつくられていますし、自分で料理をすることは嫌いではありませんよ。とはいえ、競技をするうえで練習もハードになってくるとなかなか完璧な食生活というわけにはいかないという難しさもあります。それでも、母から教えてもらった、バランスのとれた食事を意識しています。
長野パラリンピックのときは専門の栄養士さんのサポートがあり、面談形式でお話する機会が何度もありました。そこでも、「あなたは栄養に関してすごくしっかりしているので大丈夫!」と太鼓判を押されましたからね。子どもの頃から普通のことでしたから、わたし自身が栄養面に関して特別に意識しなくても、問題なくやれていたようです。
ただ問題がひとつだけあって……。じつは、わたしはとても少食なのです。マラソンなどの持久系の種目をやっているとすごく食べそうに思うでしょう?(笑)。2000年から2004年のアテネパラリンピックまで肉体改造をしようと思ったときに、一番ネックになったのが体重を増加させることでした。車いすマラソンでは、体重が軽いと体幹を安定させにくくなりますし、スタミナも不足してしまうのです。
子どもには、食べることの楽しさも知ってほしい
――アスリートは減量も大変ですが、ハードなトレーニングを行いながらの増量も大変そうです。
土田さん:
食べることが直接的にエネルギーにつながりますから、食べなければいけません。でも、だんだんと食べることがストレスになっていきました。料理することも嫌いではないですし、食べることにも関心はあるのですが……「食べないといけない」という過剰な意識が出てくると、それがプレッシャーとなり精神的に追い詰められて食べられなくなっていくのです。それをなんとか改善できないかと思ったときに、一食の食べる量を増やすのではなくて、回数を多くして食事を摂るようにしました。それまでの1日3食を1日5食にして、補食を増やしたりするなど工夫し、それでも不足する分はプロテインなどで補っていました。
その結果、シドニーパラリンピックが終わったときの体重は39kg台でしたが、次のアテネパラリンピックでは48kgまで増やすことができました。それまでのトレーニングの成果と食事による肉体改造が、アテネパラリンピックでのメダル獲得に大きく関連したことは間違いありません。
――約10kg増量したのですね。トレーニングを行いながらですから、10kgの増量と言っても筋肉の肥大による増量でしょうね。それですごくパワーがついてメダルがとれたのは、やはりトレーニングと食事のバランスがうまくいったということだと思います。子どもがスポーツをやっている親御さんには、先程のバランスのよい食事の提案の他に食事に関するアドバイスがありますか?
土田さん:
自分の息子に対しては、本人がすごく好きなものをお弁当に入れてあげることを心がけています。栄養バランスはもちろん大事ですが、わたしは食べることの楽しさも子どもに知ってほしいと思っています。「これからご飯だ!」という楽しい気持ちのときに、お弁当が苦手なものばかりでは楽しい気持ちがなくなってしまうじゃないですか。ですからあえて好きなものを入れてあげて、そのなかで必要な栄養素を工夫して入れたりできればベストだと考えているというわけです。もちろん好きなものだけを入れるのはよくありませんから、そこは栄養素とのバランスだと思いますけどね。
わたしは試合のための遠征や練習もありますから、いつも子どもの食事を用意できるわけではありません。そういうとき、息子は留守番をしてくれている夫といる時間のほうが長かったりしますが、わたしが息子と一緒にいられるときは、息子のために食事のことはできる限りのことをしてあげたい。強い体は食事からできているのですから、そこでは手を抜きたくないと思っています。そして、「体は食べ物からできている」というあたりまえのことを忘れずに、子どもの食育もしていきたいですよね。
【土田さんが実践している食生活を参考にしよう!】
実際に農林水産省のHPにも、栄養素の働きからバランスよく摂るために「三色食品群」という方法が推奨されています。栄養の基本をしっかり学んで、子どもの食育に役立てたいですね。
■ パラリンピック金メダリスト・土田和歌子さん インタビュー一覧
第1回:試練を乗り越えるための「ポジティブ・モンスター」という生き方
第2回:挫折を乗り越え夢を叶えた、私のアスリートとしてのトレーニング法
第3回:母から学び我が子に伝える、強い体をつくるバランスのいい食事
第4回:子どもには「経験」から自主性を伸ばしてほしい
【プロフィール】
土田和歌子(つちだ・わかこ)
1974年10月15日、東京都出身。高校2年時に交通事故で脊髄損傷を負い、車いす生活となる。翌年の秋にアイススレッジスピードスケートの講習会に参加し、約3カ月後のリレハンメルパラリンピック(1994年)に出場。4年後の長野大会では、1500メートル、1000メートルで金メダルに輝き、100メートルと500メートルでは銀メダルを獲得した。その後は陸上競技に転向し、2000年シドニー大会では車いすマラソンで銅メダル、2004年アテネ大会では5000メートルで金メダル、マラソンで銀メダルを獲得。2007年にはボストンマラソンで日本人では初めて優勝する。今年4月のボストンマラソンでは5連覇を達成。大分国際車いすマラソン大会では6度の優勝を誇る。現在は、競技を車いすマラソンからトライアスロンに変え、新たなチャレンジをしている。
【ライタープロフィール】
田口久美子(たぐち・くみこ)
1965年、東京都に生まれる。日本体育大学卒業後、横浜YMCAを経て、1989年、スポーツ医科学の専門出版社である(有)ブックハウス・エイチディに入社。『月刊トレーニング・ジャーナル』の編集・営業担当。その後、スポーツ医科学専門誌『月刊スポーツメディスン』の編集に携わる他、『スピードスケート指導教本[滑走技術初級編]』((財)日本スケート連盟スピードスケート強化部)などの競技団体の指導書の編集も行う。2011年10月「編集工房ソシエタス」設立に参加。『月刊スポーツメディスン』および『子どものからだと心白書』(子どものからだと心連絡会議)、『NPBアンチドーピング選手手帳』((一社)日本野球機構)の編集は継続して担当。その後、『スピードスケート育成ハンドブック』((公財)日本スケート連盟)の他、『イラストと写真でわかる武道のスポーツ医学シリーズ[柔道編・剣道編・少林寺拳法編]』(ベースボール・マガジン社)、『日体大ビブリオシリーズ』(全5巻)を編集。現在は、スポーツ医学専門のマルチメディアステーション『MMSSM』にて電子書籍および動画サイトの運営にも携わる。