日本のパラアスリートを牽引し、車いすアスリートとして第一線で活躍している土田和歌子さん。「子どもの頃から活発で負けず嫌いだった」と話す土田さんは、高校生まではスポーツが好きな普通の女の子だったと言います。
そんな土田さんの人生が大きく変わったのは、高校2年生の3月のこと。友人と富士山へドライブにでかけた途中、友人の運転する車が悪天候により高速道路でスリップ。スピンした車から土田さんは車外に放り出されてしまいます。救急車で病院に搬送され、命には別状はなかったものの「腰椎骨折による脊髄損傷」と診断されたのです。
その後、腰椎・脊髄損傷の専門医のいる病院に転院しますが、医師から「脊髄損傷によって膝から下の機能が失われています。二度と歩くことはできないでしょう」と告げられます。しかし、土田さんは一生を車いすで生活しなければいけないという現実に向き合い、新しい生活に好奇心を持って、様々なことにチャレンジしてきました。土田さんがこれまでの挫折を乗り越えることができた原動力とは、どんなものだったのでしょうか。
構成/岩川悟 取材・文/田口久美子 写真/榎本壯三(メインカットのみ)
車いす生活になってもチャレンジし続けた原動力
――土田さんは、1974年東京都中野区生まれ清瀬市育ちということですが、小さい頃はどのようなお子さんだったのでしょう。
土田さん:
いま思い返すと、負けず嫌いで好奇心旺盛。さらに超ポジティブ思考という、まさに「ポジティブ・モンスター」だったと思います。もちろん子どもの頃は自分をそういうふうにとらえてはいませんでしたけどね。でも、大人になって友人や出会った人たちから「あなたは変わっている!」「考え方が前向き過ぎる!」とよく言われるので「わたしってそんなにポジティブなんだ?」と気づきました(笑)。たしかに、ネガティブな友人に向けて「なんでそんなに悩んでいるの?」と言葉をかけたり、相談されてポジティブに返答したりすると「普通はそんな考え方はできない」とよく言われます。
――土田さんのお父さんは着物の刺繍をする職人さんで、とても厳しい方だったそうですね。そのポジティブ思考はご両親の影響があったのでしょうか。
土田さん:
両親は特にそういう性格ではありませんし、4歳離れた姉も静かで生真面目な性格でしたから、ポジティブ・モンスターは家族でわたしだけ(笑)。当時は父のお弟子さんも同居していたこともありしつけに関して父は厳しかったのですが、両親をはじめ周囲の大人の人たちに可愛がってもらった記憶があります。そんなわたしの天真爛漫な性格を温かく見守ってくれたことによって、わたしのポジティブ思考が育まれていったのだと思います。そういった家庭の環境は、子どもの人格・性格をつくっていくうえでとても重要なものでしょうね。
とはいえ、わたしも人間ですからけっしてポジティブな部分だけでなく、当然ネガティブな部分も持ち合わせていました。ネガティブな気持ちのときはすごく落ち込んだり泣いたりもします。ただそこで、わたしの場合はネガティブからポジティブへの「切り替え」が他の人よりも早いのだと思います。
――その「切り替え」のポイントはどこにあるのでしょう。
土田さん:
たとえばなにかマイナスの事柄が起きたときに落ち込み、「もうダメだ……」という気持ちが湧いてきたとします。でも、わたしの場合は「なるように、なるさ」という開き直りの部分であったり、事実を受け止めたうえで「だったらこうしていこう!」という発想やアイデアが自分のなかから勝手に生まれてくるのです。すると、ネガティブ思考から一気にポジティブ思考に切り替わってしまう。こういう切り替えの早さが、わたしは子どものときから自然とできていたようですね。ただこれは、持って生まれた性格ということだけなく、訓練でも身につくことだと思っています。
わたしは高校2年生のときに事故で車いす生活となりましたが、事故から9カ月間は腰椎・脊髄損傷の専門医のいる病院に入院していました。そこでは、脊髄損傷になりいつまでも人生を悲観して立ち直れないでいる患者さんたちを多く目にしました。わたしも、「事故で二度と歩くことができない」と医師から言われたときはもちろん落ち込みましたし、母親にどうにもならない気持ちをぶつけることもありました。しかし、それは長い時間ではなかった。そんな状況でも、やはりわたしのポジティブ思考がむくむくと湧いてきて、「悩んでもしょうがいない」「歩けなくても、自分にできることは必ずある」と次第に気持ちが切り替わってきたのです。
そういう気持ちになると、いろいろなことに好奇心が出てきます。そんなわたしは、あるとき病院内で「わくわくするもの」を見つけてしまったのです。それが、スポーツ用車いすでした。スポーツ用車いすは、普通の車いすとちがって小回りは効くし、ビュンビュン走ります。小学生のころにバスケットボールをやっていたので、「車いすバスケットをやりたい」「車いすでスピードを競ってみたい」と、どんどんやりたいことが出てきました。たしかに事故は悲しい出来事でしたが、持ち前のポジティブ思考によって早めに気持ちの切り替えができたことで、その後のわたしの人生を大きく変えてくれたことは間違いありません。
自分自身に負けないという気持ちをつくる
――土田さんはこれまで数々の大会でメダルを獲得され、いまなおトップアスリートとして活躍されていますが、ポジティブ思考は競技に影響しますか? 子を持つ親御さんも知りたいことだと思います。
土田さん:
ただ、一概にポジティブ思考がいいかと言えば、ときにはマイナスに働くこともあるんですよね……。なぜなら、競技をやっていくうえで「なるようになるさ」では済まないことも多いからです。わたしはトップアスリートになるために必要なことがふたつあると思っています。そのうちのひとつは、ポジティブ思考。こどもでも大人でも、勝負に負けたら悔しいのはあたりまえですよね? ただ、その悔しさをいつまでも引きずるのではなく、気持ちをいかに切り替えることができるかが次の勝敗に関わってくるからです。
車いすマラソン競技は、健常者のマラソンと同様に42.195kmを走ります。きつい坂道を車いすで走ることもありますが、折返し地点で「ゴールまでまだ半分もある」と思ってしまうか「ゴールまでもう半分しかない」と思えるかで結果はちがってくるのです。ですから、ポジティブ思考はアスリートにとって大事な要素なのです。
そして、ふたつめは「負けず嫌い」であること。わたしはポジティブ思考とともに子どものときからとても負けず嫌いでした。もちろん、勝負には負けるときもあります。しかし、そこから学び、考え、悔しさをバネにしてさらに上を目指していくことで自分自身が成長いく。試合ですから相手に勝つことは大事なことですが、単に相手に勝てばいいというわけでもない。相手に勝つこと以前に、「自分自身に負けない」という気持ちを持つことが大切だし、もし子どもがスポーツをやっていて勝負に勝てる子になってほしいのであれば、まずはそのことを教える必要があるのではないでしょうか。倒さなければならない敵は、自分自身であるということですよね。
■ パラリンピック金メダリスト・土田和歌子さん インタビュー一覧
第1回:試練を乗り越えるための「ポジティブ・モンスター」という生き方
第2回:挫折を乗り越え夢を叶えた、私のアスリートとしてのトレーニング法
第3回:母から学び我が子に伝える、強い体をつくるバランスのいい食事
第4回:子どもには「経験」から自主性を伸ばしてほしい
【プロフィール】
土田和歌子(つちだ・わかこ)
1974年10月15日、東京都出身。高校2年時に交通事故で脊髄損傷を負い、車いす生活となる。翌年の秋にアイススレッジスピードスケートの講習会に参加し、約3カ月後のリレハンメルパラリンピック(1994年)に出場。4年後の長野大会では、1500メートル、1000メートルで金メダルに輝き、100メートルと500メートルでは銀メダルを獲得した。その後は陸上競技に転向し、2000年シドニー大会では車いすマラソンで銅メダル、2004年アテネ大会では5000メートルで金メダル、マラソンで銀メダルを獲得。2007年にはボストンマラソンで日本人では初めて優勝する。今年4月のボストンマラソンでは5連覇を達成。大分国際車いすマラソン大会では6度の優勝を誇る。現在は、競技を車いすマラソンからトライアスロンに変え、新たなチャレンジをしている。
【ライタープロフィール】
田口久美子(たぐち・くみこ)
1965年、東京都に生まれる。日本体育大学卒業後、横浜YMCAを経て、1989年、スポーツ医科学の専門出版社である(有)ブックハウス・エイチディに入社。『月刊トレーニング・ジャーナル』の編集・営業担当。その後、スポーツ医科学専門誌『月刊スポーツメディスン』の編集に携わる他、『スピードスケート指導教本[滑走技術初級編]』((財)日本スケート連盟スピードスケート強化部)などの競技団体の指導書の編集も行う。2011年10月「編集工房ソシエタス」設立に参加。『月刊スポーツメディスン』および『子どものからだと心白書』(子どものからだと心連絡会議)、『NPBアンチドーピング選手手帳』((一社)日本野球機構)の編集は継続して担当。その後、『スピードスケート育成ハンドブック』((公財)日本スケート連盟)の他、『イラストと写真でわかる武道のスポーツ医学シリーズ[柔道編・剣道編・少林寺拳法編]』(ベースボール・マガジン社)、『日体大ビブリオシリーズ』(全5巻)を編集。現在は、スポーツ医学専門のマルチメディアステーション『MMSSM』にて電子書籍および動画サイトの運営にも携わる。