車いすアスリートとして第一線で活躍する土田和歌子さん。高校2年生の時の交通事故によりその後の一生を車いすで過ごすことを余儀なくされたものの、今ではパラアスリートとして国内外の大会に出場し、活躍を続けています。そんな土田さんが持つもう一つの顔は、一人息子の母という顔。普段、練習や試合で一緒にいられないことも多いなか、現在11歳になる息子さんとどのように接しているのでしょう。また、土田さんの考える、子どもの自主性を伸ばすために大切なこととは何でしょうか。お話を伺ってきました。
構成/岩川悟 取材・文/田口久美子 写真/榎本壯三(メインカットのみ)
子どもの成長とともに親にも気づきがある
――土田さんには様々な挫折を乗り越えてきた経験がありますが、たとえば子どもにも挫折と向き合わなければいけない場面があると思います。そういうときに、親としてどのように接するべきだと思いますか?
土田さん:
わたしの母は非常に気丈な人。わたしの子どもの頃には父は闘病していましたので、母が生活を支えなければならない状況でした。そう考えると、母は父親の役割をも果たしていたと言えます。わたしが障害を抱えたときも、わたしの前では涙を見せたことはなく、こういうときはこうするべきという方向性を示し、わたしのために最善をつくしてくれました。その背中を見てきましたが、もちろんわたしもまだその頃は子どもでしたから母とぶつかることもありました。わたしの母はどちらかというと口うるさいほうで……(苦笑)、正直、そばにいて鬱陶しいと思ったこともあります。でも、すごく前向きで真面目な人でしたから、どんなときでもなにごとにも一生懸命に取り組む姿はわたしにとっても励みになったと思っています。
それから、わたしが怪我で挫折したときに「この人は自分の味方なんだ」ということをストレートに感じさせてくたことも大きかった。「いまは忙しいから」などといい加減な対応はせず、話を聞いて一緒に考えてくれたのです。
――子どもが落ち込んでいるとき、親は目標になる存在であったり、方向性を示してあげたりするのが大事になるということですね。
土田さん:
わたしもいま子育てしている最中で、子どもの年齢によって大変さは変わってきますね。まだ自立できていない幼児の頃は、まずどうやって次の成長に結びつけていくかを考え親がどう手助けをすればいいかを考えていました。それからある程度人間形成されてくる小学生くらいになってくると、自分の考えを子どもに伝えても、なかなかそれが反映されないことが増えてきます。そういったなかで、「人それぞれ性格もちがうのだから、子どもの人格を尊重してあげないといけない」という気づきをもらったのです。そう考えると、自分自身が子育てによって成長させてもらっている部分は多いと思います。もちろん、まだまだその過程にあるわけすが(苦笑)。
自分が想像し得ないところで、子どもが悩んでいたりすることもあります。わたしからすると、「どうしてそういうものの考えになるんだろう?」と思うくらいネガティブなときもあるし、そこから切り替えができない時間が長く続くことだってある。わたしには「こうしてきた」というわたし自身の経験がありますが、子どもにはわたしの経験がそのままはあてはまりません。これはどんな親子でも同じだと思いますし、どう対応していくのかを日々考えなければならない。結局は、お互いに寄り添わないといけないし、寄り添いながら答えを見つけていくしかありませんよね。
スポーツは心にストレスを抱えてまでやらなくていい
――アテネパラリンピック後に、元スピードスケートの選手だった高橋慶樹さんと結婚され、翌年に息子さんが誕生していらっしゃいますね。現在11歳になられたということですが、物心がついていろいろなことがわかってくると、お母さんが車いすに乗っていることに疑問を持ったりすることがあったのではないかと思います。そのあたりは、どのように対話されていったのでしょうか。
土田さん:
自分の障害について説明はしましたが、それ以上特別なことはしませんでした。単に、日常生活のなかでなにができてなにができないのかをそのまま見せるようにしたのです。日常のわたしを見て、できないものに対してのサポートが自然とできるようになってくれるといいなと思っていた程度です。
――お母さんができること、できないことを自然に学んでいったということですね。
土田さん:
息子が赤ちゃんの頃はまだ良かった。ちょこまか動き回らないので、車いすでも問題なく対応できていたからです(笑)。ただ、歩きはじめるようになってからは、「車いすでなければ」と思うことも多く、悔しい思いもありましたよね……。少し成長してくると、子どもながらにいろいろなことがわかってきて、「この作業は手伝ったほうがお母さんは楽なんだろうな」と思っても、あえて手伝わないということが子どもにもあるように思います。それは子ども心から生まれる親への甘えかもしれませんし、「お母さんできるでしょ!」ということなのかもしれません。
――息子さんは、おふたりのどちらの性格に似ているのですか?
土田さん:
完全に慎重派の主人のほうだと思います。ですから、とにかくポジティブで「ポジティブモンスター」であるわたしには理解不能(笑)。息子を見ていると非常に緊張しやすい子なのだと感じます。おそらく想像力が豊かなのだと思いますが、ポジティブな想像力ならいいのですが、どちらかというとネガティブな想像力が働くようですね。「失敗したらこうなる」とか、すごく深いところまで考えてしまうのでしょう。
――ポジティブモンスターであるお母さんとは、全然タイプがちがうわけですね。
土田さん:
びっくりするぐらいちがいますよ(笑)。
――息子さんはスポーツはなにかやっているのですか?
土田さん:
小学校1年生の頃、体があまり丈夫なほうではなかったので水泳を習わせました。それはいまでもずっと続いていますね。ただ、小さい頃からわたしの厳しい合宿に帯同させてその様子を見せてしまっていたので、その影響があるのかどうかわかりませんが……他の競技はあまりやりたがらなかったんです。わたしも、本人に「やりたい」という意思がなければ強制することはしませんでしたしね。ただ小学校5年生くらいになったときに、友だちの影響でサッカーに興味を持ちクラブチームに入りました。ですが、すでに小学校低学年からサッカーをやっていた子とは技術的な差がありましたし、怒るような厳しい指導が性格的に合わなかったようです。
わたし自身は、小学校のときからミニバスケットボールをやっていました。厳しい局面にあっても続けていくことでいろいろと吸収できるものもあるし、イヤだと思っても練習に行くことで克服できたり改善できたりすることもあったので、とにかく続けていくことが大事なのだと最初は思っていたのです。しかし、よくよく考えてみるとそれが間違いだと気づきました。スポーツは、心のストレスを抱えてまでやるものではないと思ったからです。結局いまは、サッカーはプレーしていません。それでもサッカーは大好きで、試合をよく観ていますし、選手のことを調べたりサッカーの情報収集をしたりしていますね。息子は、選手よりもサポーター向きだったのでしょう。
――子どもにスポーツをやらせたい親御さんは多いですが、子どもへの押しつけになってしまうのはよくありませんよね。得てして親のほうが夢中になってしまうことも多いですが、子どもがイヤな思いをしてスポーツを行うのでは、スポーツそのものが嫌いになってしまいます。スポーツへの関わり方は、選手でなくても興味を持ってファンとしての関わり方もありますね。
土田さん:
わたしもいまではそういうふうに思えるようになってきました。わたし自身もずっとスポーツをやってきていたので、最初はなぜその壁を越えられないのかわからなかったんです。厳しさも自分の気持ちで越えるものではないかと感じてしまう節があったのですが、やはり子どもにもひとりの人間としての人格があるし、人は誰もが同じではないのですよね。わたしができたからといって、子どもがアスリートになるわけではありませんし、それはどんな親子の関係でもあてはまるものだと思います。
子どもの自主性を伸ばすカギ
――土田さんは、子どもの自主性を伸ばすにはどのように対応されていますか?
土田さん:
わたしが尊重しようと思っているのは、息子の意見をちゃんと聞こうということ。子どもにだって言いづらいことはたくさんあると思いますし、特に息子はそういうことを自ら言い出せるタイプの子ではありません。逆にわたしはせっかちで早く回答がほしいタイプ(笑)。ですから、息子からの答えが出るまで我慢して待つことを意識してやっています。その段階を経たら、あとは子どもが自分で悩みや課題を克服できるように見守ってあげればいいと考えています。
恵まれていたことに、子育てに関しては夫婦ふたりだけでなく、多くの人のサポートを得ることができました。息子はわたしと合宿や遠征をともにするなかで、幼少期から誰よりも多くの大人と接して過ごしてきた時間があります。「三つ子の魂百まで」と言いますが、多くの人からたくさんのことを吸収させてもらい、そうした人たちにも育ててもらった。息子はすごく心優しい性格をしているのですが、おそらくそうした要因も彼の人格形成に役立ったのではないでしょうか。
――子育てをしながら海外遠征や合宿を両立されていたので、苦労もあったかと思います。そんななか、海外での英会話を使ったコミュニケーションはいかがでしたか?
土田さん:
英会話はもともと得意ではありませんでした。それこそ、最初に海外に行ったときはノルウェーのパラリンピックの大舞台でしたし、コミュニケーションには非常に苦労しましたよ。そのときは、身振り手振りでなんとか乗り切った記憶があります……(笑)。
――昨今、スポーツもジュニア世代から海外で活躍する子どもたちが増えました。海外で活躍するグローバルな人になるには、どういう資質が必要になると見ていますか?
土田さん:
わたしも言葉(外国語)ではとても苦労しているので、言葉でコミュニケーションがとれるようになることが一番の理想でしょうね。ただ、たとえ外国語が苦手でも「伝えたい」という気持ちがあれば、恥ずかしがらずに自分を表現していくことでコミュニケーションがとれることも多々あります。ですから、グローバルな人間として活躍するのは、まずは臆せずに前に進んでいくことが必要になってくると思います。その勇気があれば、世界はどんどん身近なものになっていくでしょう。
わたしはいまも英会話が得意ではありませんが、外国の選手たちと顔見知りになったし、たくさんの友人もできました。いろいろな経験を積むことによって対応できることが増えていくことは、わたしの経験が証明しています。これからの子どもたちには、好奇心をもってあらゆることにチャレンジしてほしいですよね。
もし将来的に海外でチャレンジしたいという夢があるのならば、小さい頃から英会話は学んでおいたほうがいいでしょう。息子もいま英会話を習っています。わたしのホノルルマラソン大会に帯同した際に、仲の良いアメリカの選手の子どもたちと遊ぶ機会があったのですが、自分の言いたいことが伝えられなかったということから、自分から「英会話を習いたい」と言い出しました。性格はシャイなところがありますが、自分がそういう経験をしたことで英会話スクールに通いたいという自主性が芽生えたのでしょう。そういう意味では、海外での経験は大事なことだと思いましたよね。なんのために、なにをしたいから海外に行くのかという目的ができれば、英会話だってなんだって、子どもはどんどん自主的にやりたいと言い出すものだと実感しました。
■ パラリンピック金メダリスト・土田和歌子さん インタビュー一覧
第1回:試練を乗り越えるための「ポジティブ・モンスター」という生き方
第2回:挫折を乗り越え夢を叶えた、私のアスリートとしてのトレーニング法
第3回:母から学び我が子に伝える、強い体をつくるバランスのいい食事
第4回:子どもには「経験」から自主性を伸ばしてほしい
【プロフィール】
土田和歌子(つちだ・わかこ)
1974年10月15日、東京都出身。高校2年時に交通事故で脊髄損傷を負い、車いす生活となる。翌年の秋にアイススレッジスピードスケートの講習会に参加し、約3カ月後のリレハンメルパラリンピック(1994年)に出場。4年後の長野大会では、1500メートル、1000メートルで金メダルに輝き、100メートルと500メートルでは銀メダルを獲得した。その後は陸上競技に転向し、2000年シドニー大会では車いすマラソンで銅メダル、2004年アテネ大会では5000メートルで金メダル、マラソンで銀メダルを獲得。2007年にはボストンマラソンで日本人では初めて優勝する。今年4月のボストンマラソンでは5連覇を達成。大分国際車いすマラソン大会では6度の優勝を誇る。現在は、競技を車いすマラソンからトライアスロンに変え、新たなチャレンジをしている。
【ライタープロフィール】
田口久美子(たぐち・くみこ)
1965年、東京都に生まれる。日本体育大学卒業後、横浜YMCAを経て、1989年、スポーツ医科学の専門出版社である(有)ブックハウス・エイチディに入社。『月刊トレーニング・ジャーナル』の編集・営業担当。その後、スポーツ医科学専門誌『月刊スポーツメディスン』の編集に携わる他、『スピードスケート指導教本[滑走技術初級編]』((財)日本スケート連盟スピードスケート強化部)などの競技団体の指導書の編集も行う。2011年10月「編集工房ソシエタス」設立に参加。『月刊スポーツメディスン』および『子どものからだと心白書』(子どものからだと心連絡会議)、『NPBアンチドーピング選手手帳』((一社)日本野球機構)の編集は継続して担当。その後、『スピードスケート育成ハンドブック』((公財)日本スケート連盟)の他、『イラストと写真でわかる武道のスポーツ医学シリーズ[柔道編・剣道編・少林寺拳法編]』(ベースボール・マガジン社)、『日体大ビブリオシリーズ』(全5巻)を編集。現在は、スポーツ医学専門のマルチメディアステーション『MMSSM』にて電子書籍および動画サイトの運営にも携わる。