一般的にも認知度が高まっている「モンテッソーリ教育」。そのモンテッソーリ教育では、「子どもがやりたいことである『おしごと』に夢中になって没頭する『集中現象』によって、さまざまな能力が伸びる」とされています。ただ、「そんな専門用語に惑わされる必要などない」と語るのは、モンテッソーリ教育を掲げる「吉祥寺こどもの家」の園長である百枝義雄先生。その言葉の真意とはどういうものなのでしょうか。
構成/岩川悟 取材・文/清家茂樹 写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)
教育用語に特別な意味を求める必要はない
モンテッソーリ教育においては、子どもがやるあらゆる行為を「おしごと」、その行為に没頭することを「集中現象」と表現します。ただ、わたし自身はこの表現にはあまり大きな意味はないと思っています。
おしごとは、英語では「ワーク(Work)」です。つまり、「作業」といってもいいわけです。訳す際におしごとになったというだけのことですが、「モンテッソーリ教育におけるおしごと」なんていうと、「遊びとはちがう」というふうに特別ななにかがあるように思ってしまいますよね。でも、子どもからすればモンテッソーリ教育でいうおしごとと遊びにも、教具とおもちゃにもちがいはありません。ただ大人が勝手な区分けをしているだけなのです。
集中現象も同じように、大人がその状態を勝手にそう呼んだに過ぎません。スポーツなど他の分野でなら「フロー」とか「ゾーン」といういわれ方もしますが、要は「なにかに夢中になっている」ことが、モンテッソーリ教育では集中現象と呼ばれているだけのことです。
わたしが考えるモンテッソーリ教育の根幹とは、「すべての子どもは自分を伸ばす力を持っており、かつ、いま自分の伸ばすべきところを知っている」ということです(第1回インタビュー参照)。たしかに、子どもが「おしごと」に夢中になって「集中現象」に入ることは子どもの育ちにおいて大切なことです。ですが、その言葉のイメージに引きずられて、なにか特別なことをしなければならないように思う必要などなく、親はただ子どもがやりたいことをやりたいときにやれるような環境を整えてあげればいいのです。
子どものやりたいことを止めるには「保証」が必要
でも、実際には「子どもがやりたいこと」のなかには、親からすれば「ちょっと困るなあ」と感じることもありますよね。本来、家庭では一緒に暮らしている大人と子どものどちらも穏やかに過ごしたいはずです。それなのに、たとえば子どもが洗面所で水を出しっぱなしにしてそこらじゅうを水浸しにしてしまうようなことがあれば、大人は穏やかに暮らせません。だから子どもを止める。そして、家庭で大人と子どもがぶつかった場合は、絶対に大人が勝ちます。
ところが、子どもは水を出しっぱなしにすることに強い興味を持っていて、その行為によって自分を伸ばしたいと思っているわけです。だとしたら、その行為を止めるにしても、別の機会や場所でやれるように保証してあげなければなりません。たとえば、「庭の水まき用の水道を使うのだったらいいよ」とか「お風呂でやってみようか」という具合です。
ただ「駄目」といって禁止することは避けましょう。「これは駄目だけど、これだったらいいよ」というふうに、別の選択肢を示してあげてほしいのです。そうすれば、幼い子どもにとってもわかりやすいですし、納得してくれるはずです。
「褒めて伸ばす」もやり方次第では危険
そのように、子どもがやりたがっている行為を止めることだけでなく、「なにかを無理強いする」ということも避けてほしいことです。それらの行為は、勉強も含めてあらゆることに対する子どもの意欲を奪うことにつながります。
たとえば、子どもにとってまだひらがなの練習をする時期が訪れていないにもかかわらず、親が「練習しなさい」と無理強いしたとします。もしかしたら、それが半年後のタイミングだったら、子どもは「わあ、面白そう!」と夢中になって取り組んだかもしれません。だけど、半年早いばかりに、子どもは難しいと思うしつまらない。
その様子を見て親が「うちの子は駄目だ」「頑張らせないと……」なんて思って、「みんな、やっているでしょ?」と強制したらどうなるでしょうか。子どもは「わたしはこういうことが苦手なんだ、駄目なんだ」と思ってしまう。半年後だったら、「わたしはこれが得意だ!」と思って、どんどん自分から取り組めるはずだったのに……。
かといって、最近よくいわれる「褒めて伸ばす」ことも、やり方次第では危険です。親がやらせたいことを子どもにやらせ、よくできたら褒める。そういうことを繰り返せば、子どもの行動の目的は褒められることになり、本当に自分のやりたいことをやって自分を伸ばすということができません。
親がするべきことはそんなことではなく、子どもへの「共感」です。「褒められるから僕はすごい」ではなくて、褒められなくても成功しなくても「僕は僕でいいんだ」と思わせてあげなければなりません。そうするためには、子どもと一緒においしいものを食べたら「おいしいね」、一緒にお風呂に入ったら「気持ちいいね」、子どもがリレーの選手に落選したら「悔しいね」と共感してあげる。そうすれば、子どもは「自分の持っている感情は間違っていない」「自分の経験は間違っていない」とどんどん自信を持っていきます。それこそが、親にしかできないこと、親がやるべきことではないでしょうか。
『「集中できる子」が育つモンテッソーリの紙あそび』
百枝義雄・百枝知亜紀 著/PHP研究所(2019)
■ 吉祥寺こどもの家園長・百枝義雄先生 インタビュー一覧
第1回:子どもは「自分の伸ばすべきところ」を知っている――タイミングはその子次第
第2回:「おしごと」と「集中現象」とは? “親にしかできない”もっとも重要なこと
第3回:はさみを上手に使うには、背中と腰の運動が重要? 器用な子どもにするために親ができること
第4回:親が待つことができれば、子どもの「考える力」は育つ。理想の家庭教育は追い求めない!
【プロフィール】
百枝義雄(ももえだ・よしお)
1963年10月23日生まれ、長崎県出身。吉祥寺こどもの家園長。東京大学教養学部教養学科第一表象文化論分科卒業。日本モンテッソーリ教育綜合研究所教師養成センター卒業、モンテッソーリ教師(3歳〜6歳)資格取得。横浜国際モンテッソーリ乳児アシスタントコース卒業、AMI乳児アシスタント資格取得。2002年度より2006年度まで日本モンテッソーリ教育綜合研究所教師養成センターの実践講師として3歳〜6歳のモンテッソーリ教師養成に携わる。2007年、同センターで0歳〜3歳のモンテッソーリ教師養成コースを立ち上げ、2011年3月まで4期にわたり実践講師を担当。現在は、モンテッソーリ・ラ・パーチェ トレーニングコース代表、モンテッソーリ家庭教育研究所研究員、日本赤ちゃん学会会員も務める。著書に『「自分でできる子」が育つモンテッソーリの紙あそび』(PHP研究所)、『「1人でできた!」を助けるおうちでモンテッソーリ子育て お母さんはラクになり、子どもの未来が輝く』(PHP研究所)、『父親が子どもの未来を輝かせる』( SBクリエイティブ)などがある。
【ライタープロフィール】
清家茂樹(せいけ・しげき)
1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。